誰かの欲しいものを一緒に探す〜ゲームディベロッパーの処方箋〜
デザインの仕事って処方箋に似ているような気がする。
まず問診で病状を聞いて、診断して最後に処方箋出してっていう一連の流れ。我々は開発会社だから自分で出した処方箋を元に開発するから患者さんは処方箋薬局行かなくていいヤツ。
■我々の仕事
ウチは自分達オリジナルの作品(自社IPとも言う)を作らない開発会社。
別にリスクを避けたいのではなく、前々から技術力勝負で存在価値を高めたいと思っている会社。
パブリッシャーさんから開発の依頼を受けて一本まとめて開発するスタイル。決められた開発費の中で可能な限り良いゲームを作るのが自分達の仕事だ。
まずはパブリッシャーさんの問診票(企画書)から始まる。
■問診
●問診票(企画概要や開発相談)
我々のクライアントさんは主にパブリッシャーのプロデューサーの方。
企画書でまずは企画の説明を受ける。大まかな概要、開発の座組みや開発時期、ご予算。ざっくりとはそのような内容が記載された企画書のみ。
開発は我々の仕事なので我々が得られる情報はここまで。
シリーズ作品やリメイク、リマスター作品なら頂ける資産データがある場合もある。でも大概は参考にしかならない。
ここまでが初診の問診票段階。
次は問診に入る。
●病状・症状を聞く
なぜか毎回UIの話しになるとペルソナの話しが出てくる…代表的な症例なのかね?
「UIはペルソナみたいなのがいい」
っていうのは、近年ほぼ100%出てくる症状。
それに対しては、たいがい
「その症状、最近流行りなんですよね〜すぐ治ります(気が変わります)から大丈夫ですよ」っていう内容を遠回しにお伝えすることにしている。
で、また来週来て下さいね。という感じで最初の問診は終わり。
コレ、決して上から物を言っているのでは無い。
開発の時間を取らないようにわざわざ出向いて下さるクライアントさんは多い。
次週までに問診から分かる範囲の内容を咀嚼してみる。
■診断
問診だけでは内容が汲み取れ無いので、参考資料を集めてすり合わせを重ねて行く。
その後、サンプルイメージやモックアップを作ったりして徐々に狙いを絞って行く。レントゲンやCTを撮って検査するかのような感じだ。
この過程でだんだんと核心(病状)に迫っていく。
先方も徐々にビジュアルを呼び水にして欲しいものの言語化ができるようになってくる。するとこちらの診断も捗ってくる。
この段階で処方箋の内容は何となく見えて来ている。
■処方箋
ここからやっとアートディレクションの仕事っぽくなる。
問診や検査の結果、対処としてこんなコンセプトでビジュアルを作ります。まず検証として、こういう段階を経て量産の計画を進めていきます。っていう資料を提示しつつ説明する。
これが処方箋的な役割りを果たし、合意に至ればやっと開発(この流れで言うと治療)が始まる。
ゲームは開発予算の大半はビジュアルに注ぎ込むことになる。だからこそ、この処方箋をミスると治療が長引く、こじらす、終わる。そんなことも起こりうる大事なものだったりする。
■何が欲しいのか分かっている人は少ない
って思っている人が意外と多い。
実は、注文する側が何を欲しているか分かっていないケースの方がはるかに多いのだ。
”何か” は確実にあるけど具体的に説明できるほどイメージできない。
でもそれでいいのだと思う。
だからそこ我々のような人間が必要とされるのだから。
●なぜなら凡人の集まりだから
問題や課題に寄り添い”答え"に限りなく近い”カタチ”に導いて行くのがデザインにできる精一杯だと思う。
だって特定の仕事においてはプロといえども結局は”凡人”の集まり。
依頼する側もされる側も”凡人”であれば、デザインの考え方で乗り切るしかない。
凄い天才がグイグイ引っ張ってくれるなら"問題"も最初から無い。
だからデザインの在りようも変わって来るだろう。
でも世の中どうもそうなってはいないらしい。
「デザイン思考」っていうのが注目を集めるのは、みんなが"凡人"だから。”凡人”って言われて気持良くはないだろうけど決して悪口ではない。
だって"凡人"の反対は"偉人"とか”賢人”なんだから滅多にいないと思っていい。
「オレ偉人だから」ってヤツはいないし、もしいたら”変人”でしょ?
「オレの絵」を作りたがる人が一定数いる。
それが”世の中”が求める”答え”になっているならばアリと認めよう。
でもそんなエゴを貫けるのはほんの一握りの ”幸運に恵まれた天才” だけ。
この手の勘違いしてる人には、自分も凡人だってことを受け入れて地道にやって行こうよと言いたい。
●デザインは問題解決?
デザインもコンテンツ作りも完全な”無”から"有"を作るのは難しい。
近年「デザイン思考」、「デザインは問題解決だ」って感じの記事をよく見るようになった。
自分の感覚では、以前から問題、課題解決の手法としてデザインがあると教わっていたし当たり前の感覚だった。
ただ、近年ではデザイナー以外の方にもその考え方が有益であるという見方が普及したのだと思う。
"問題"、"課題"って言ってしまうとどこかネガティブな印象が付きまとう。
筆者の中ではニュアンスとして ”フック” くらいに捉えている。
その ”フック” がたまたま誰かの ”問題” や "課題" だっただけ。
今回の話しの中では欲しいテイストが ”はっきりしない病” としておく。
結局は相談だったのかな?と思う。
一緒に考えて「背中を押して欲しかったのね?」と思うようにしている。
●一番難しい究極のオーダー
デザイン関係の仕事をしていて、こんなオーダーは絶対無いのだが。
筆者にとって一番難しいと思うオーダーはズバり
「さあ、自由に何でもデザインしてください!」
だと思う。
つまり ”フック” なし状態…
"自由" なんだからまずは自由に ”フック” を設定することから始めなきゃいけない。
これなしにはデザインのとっかかりが無いので、結局は自分で "フック" を作ることでしか始められない。
物作りの中で一番難しいのが"自由"って皮肉なことだけど…
それは否定できない。
それこそがデザインとファインアートの違いなように思う。