ある年の高校演劇県大会の講評

 幕開け一目見て、どこかの部室であることが伝わりました。よく見ると演劇部であることもわかり、会話の中でもさりげなく様々な情報を伝えています。しかし、初めてこの芝居を見て細かいところまで伝わるかといえば、なかなかそうなってはいないと思いました。 パネルがすぐ後ろにあると、声が反射して客席に届きやすいのですが、それでも聞き取りにくいところが散見されました。会話劇なので、できる限り細かく伝えたいところです。 今回のお芝居の最大の問題点は、そこにありました。何しろ、できる限り隅々まで聞こえて理解できないと、その真価が発揮されにくい戯曲だからです。セリフが十分に伝わって、初めて勝負できる作品だと思うのです。世の中には、何を言ってるのかよくわかんないんだけどなんだか面白い、というタイプの芝居もありますが、この作品はそういうモノではないでしょう。
 ですから、例えば、所々に仕込まれている小ネタは、大ウケはしなくても、クスクスと笑いが漏れるくらいのウケは取っておきたいところです。そのためにはきちんと内容が伝わらないといけません。
 女子高生同士の他愛ない会話は弾んでこそ命です。実際町中や駅などで漏れ聞こえてくる高校生の会話は、驚くほど大きな声が出ていたりします。ベースになる会話のトーンをもっと騒がしいところに置いておき、そこからさらに強弱をつけたり、高低をつけていくと、弾んだ雰囲気が出ます。会話のテンポは悪くないのですが、なんというか全体的に大人しいと感じました。また、BGMの音量が高く、セリフと重なるところでは、さらに聞きづらくなってしまいました。
 単純にもっと無駄な動きとか、落ち着きのなさがあってもいいのではないかと感じました。そうすると、体の状態としては、脈拍が上がったり、汗をかいたりすると思います。演技をする上で、感情というのは、実はそれほど問題ではなく、演じている役柄に体の状態をいかに近づけられるか、という方が重要です。特に重要なのは呼吸です。体の中と外でやりとりして、それが外から見える、感じられる可能性がある、というのは呼吸だけだからです。呼吸を意識下に置き、コントロールすることによって、それが観客にも伝わります。もちろん、観客に伝えようとする意識も重要です。
 後半、先輩二人の佐々木くんへの思いが明らかになっていくのですが、特に鈴木さんの方にそれを予感させる何かが欲しかったと思います。後に鈴木さんの気持ちが明らかになったときに「そうだったのか」と膝を打つような要素ですね。それはセリフを加えたりということではなく、仕草や表情、話題への反応、間など、さまざまな演出で考えることが可能です。
 後半になって「いいの? このままで」「出してみない?」といった本田さんへの励ましというか、アドバイスというか、とにかく鈴木さんの思いが強く出てくる場面がありました。このあたりは、その思いとともに、言葉もきちんと伝わっています。恐らく役者として、きちんとそのセリフと状況に「乗れた」状態になったのだと思います。
 その状態をベースにして、そんなに思いが乗るような場面でなくても、普通の場面の普通セリフに「乗って」行けるようになると、いろいろなモノが伝わりやすくなるでしょう。
 ラストシーンで、身支度をして帰るまで余韻として残したのはわかりますが、これはその最中に溶暗していくくらいで良いかと思いました。 

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