ある年の高校演劇県大会の講評

「ツナグ」

 セットの説得力が素晴らしいです。ろくろなども回っていて、ちょっとスゴい手間かかってるなぁと感心してしまいました。ただ、モノを出してしまうと、実際に作業しないと、もったいないと感じてしまいます。そうなると本物のろくろを使って削り作業まですることになってまうので、むしろ作業場は舞台裏にあって、作業する音が響いてくる、という舞台設定にした方が良かったかも知れません。
 序盤の昭和的なギャグのノリツッコミが微妙にスベっていたのですが、わたしとしてはそのスベり方がツボに入ってしまいました。
 こけし職人の源さんのキャラクターが、ステレオタイプだと感じました。寡黙で頑固、愛想の一つもない。小学生が一人で遊びに行って安心できるような感じではないので、親の立場としてちょっと心配になってしまいました。むしろここは逆に、非常におしゃべりでノリのいい職人なのだが、廃業の危機に瀕している。とした方が悲哀が感じられたかも知れません。
 この作品は、こけしづくりの伝統工芸が継承の危機に瀕していることを背景に、その伝承を願う少女と、現状を知って葛藤する少年の物語を縦糸に、職人源さんの思いや過去を横糸に展開していると読み解くことが出来ます。
 しかし、危機に瀕していることが登場するのが後半になっているため、観客の意識は、どのような視点で芝居を観るべきか宙をさまよってしまいます。こけしづくりという宮城らしい伝統が継承の危機に瀕しているということが序盤でわかった方が良いでしょう。
 そのためには、二人の少年少女が高校生である場面から始め、回想で小学生にさかのぼり、その頃はこけし職人になることにノリノリだったコウタが、中学校の課題研究で打ちのめされ、それ以来ここに来なくなった、とすると納得しやすいと思います。
 全体的にセリフが長いと感じました。長いセリフは、成立させるためにけっこう技術が必要なのです。三行以上になると、なかなか伝わらなかったりするのです。また、内容を理解し、それを客席まで伝える、という意識付けをすると、発声や滑舌といった技術を鍛えるより、近道になる場合があります。
 できる限り短いセリフでやりとりしながら情報を伝える、という組み立てにした方が、何かと便利です。
 もうひとつ、終盤に現れて唐突な感じがあるのは「ゆき子」のエピソードです。ユキがゆき子とそっくりなのであれば、これも序盤に何かの振りが必要でしょう。まあ、名前が同じというだけでも良いのですが、源さんの過去にあったことが匂わされないと、唐突な感じは否めません。
 この他、源さんがことあるごとに「手を洗え」というのが、何か意味を持っているのではないかと思って観ていたのですが、そのことについては回収されませんでした。もし何かの意味があるのであれば、はっきりと回収して欲しいくらい何度も繰り返された言葉でした。
 場面転換での暗転が多いのも気になりました。この内容であれば、回想を入れるとしても、3~4場面で事足りるのではないかと思います。
 ラスト終わらせ方にどのようなメッセージを込めたかったのかが判然としていません。衰退を仕方のないものとしているのか、何かしらの希望があるのか? そのあたりがはっきりしてくると前半の描き方も変わってくるでしょう。
 

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