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90年代に魂を置き忘れてきた者たちへ  ~PC9821復活作戦~ 【後編】

(これまでのあらすじ)
長年、愛用していたPC9821NE3が壊れた。
俺は、もう一度嫁たちに逢うため、PC9821データ復旧作戦、通称「イザナミ作戦」を発動した。
新しい肉体(本体)に魂(ハードディスク)を移植することで、再び嫁たちに逢うことができた俺だったが、その胸に一抹の不安がよぎる。
30年モノのハードディスクを、いつまでも、使ってはいられない。
「イザナミ作戦」は新たな局面を迎えたーーー。


「あなたから、連絡してくるなんて、珍しいこともあるのね。」
涼子(仮名 ネットワークエンジニア)は、ポールモールをくゆらせながら、言った。
「今日は、雪でも降るんじゃないかしら、私のホームページに。」
「突然で、すまない。見てほしいものがある。」
俺は、ハードディスクを涼子の前に、置いた。
「あら、その子、オリジナルね。」
「そうだ。PC9821NE3に内蔵されていた、純正の2.5インチハードディスクだ。」
「まだ、生きているのね。」
涼子は、愛おしげに、指先でハードディスクを撫でながら、言った。
「もちろん、まだ生きている。」
俺は、愛機が煙を吐いて壊れたこと、愛した女たちのこと、そしてイザナミ作戦のことを、涼子に打ち明けた。
「それと、このCFカードが、新しく買ったPC98に、入っていた。」
「ーーー。」
「新しく買ったPC98は、こいつからブートしていた。つまり、誰かがこいつにバックアップを取った、ということだな。」
「そうね。」
「そんなことが、可能なのか?」
「もちろん、可能よ。ただーーー。」
「ただ?」
「道具が、必要ね。」
「すまないが、それを俺に、教えてくれないか。俺の嫁たちを、救わねばならない。」
涼子は、俺に必要な道具を教え、丁寧な手順書を寄越してくれた。

「ありがとう、涼子。これで俺の嫁たちを救うことができる。」
「あなたってーーー。」
涼子が、ポールモールを深く吸い込み、煙を吐き出しながら、言った。
「昔から、変わらないわね。」
「ーーー。」
「二次元美少女のことになると、夢中になるの。」
「それは、照れるな。」
「褒めて、ないわ。」

俺が涼子から教えてもらった道具は、以下の三つだった。
①IDE-CF変換アダプタ
②IDE-USB変換アダプタ
③Linuxマシン

①については、買ったPC98に付いていた。
③については、家に転がっているRaspberry Piを使用すればいい。
購入する必要があったのは、②のIDE-USB変換アダプタだった。
これらでRaspberry Piにハードディスクを接続し、ddコマンド(※1)を使用して、イメージファイルを作成する。
図にすると、以下のようになる。

(※1)ddコマンド :Linuxに標準搭載されているコマンド。
ブロック単位でファイルコピー等を行える便利な機能。
ハードディスクのイメージファイルを作成する場合は、以下のコマンドを実行する。
sudo dd if=/dev/sdX(X:コピー元デバイス番号) of=/home/pc98.img(イメージファイル名) bs=512 status=progress
不良セクタ等でうまく読めない場合は、conv=noerror,syncオプションを付ければ上手くいくかもしれない。
イメージファイルを、ディスクに書き戻す場合は、以下のコマンドを実行する。
sudo dd if=/home/pc98.img(イメージファイル名) of=/dev/sdX(X:コピー先デバイス番号) bs=512 status=progress

俺は、駆けた。
街を、駆け抜けた。
仕事は、サボった。
目指す先はーーー。
秋葉原。

ここで、通常の5インチハードディスクと、2.5インチハードディスクの違いについて、説明しておこう。

上が、2.5インチハードディスク。
下が、5インチハードディスクである。
5インチハードディスクの場合、IDEデータバス以外にも、マスタースレーブの設定スイッチ、電源コネクタが存在する。
しかし、2.5インチハードディスクの場合、省スペース化のため、電源コネクタが省略されている。
では、電源はどこかというと、一番左の4つのピンが電源コネクタに相当する。
つまり、これは、電源の全てを、バスパワーで供給しなくてはいけない、ということだ。
このことが、後に大問題を引き起こすが、このときの俺は、気づいていない。

秋葉原で、IDE-USB変換アダプタを購入した俺は、さっそく接続を行い、アダプタの電源を入れた。
フィーーーン…カリッカリカリッ
「お…おお…。」
もうすぐ、もうすぐバックアップが取れる。
そう、思った。
次の瞬間。
プシュウウウウウン…
止まった。
壊したか!?
急いで、ハードディスクをPC98に挿し直し、電源を入れる。
無事に、起動した。
と、いうことは、バスパワーがたりない。

このハードディスクの定格電圧は5V、定格電流が500mA。
USBの定格出力が5V、500mA。
ちょうどいいように、見える。
いや、違う。
恐らく、スピンドルモーターの始動電流に、電力を持っていかれてしまっているのではないか。
さらに、調査を進めた結果、どうやら、IDE-USB変換アダプタに付いているACアダプタは、接続されたデバイスに電力を供給するものではなく、アダプタそのものに、電力を供給するものだということが、判明した。
ひどい設計だ。

そこで、俺は、Y字型USBケーブルを購入し、以下のように配線した。

これなら、不足分の電力を、USBコンセントから補える。
そう、考えた。
だが、結果は、一緒だった。

USB3.0なら、5V、900mAまで、行ける。
俺は、全てのケーブルをUSB3.0に置き換えた。
フィーーーン…
ようやく、ハードディスクが回転し始めた。
だがーーー。
Raspberry Piがハードディスクを、認識しない。
俺の叩くfdiskコマンド(※2)は、虚しく空を斬るだけだった。
「舐めてンのか!!!!!この雌豚がァーーー!!!!!!」
俺は、手近にあったマウスを握りしめると、ニヤニヤ笑ってばかりいる、運命の女神に、殴りかかった。
運命の女神は、雨宮天の声で悲鳴をあげ、逃げていった。

(※2)fdiskコマンド:Linuxに標準搭載されているコマンド。パーティション分割などに使う。
-lオプションをつけることで、接続されているディスク装置の状態を表示することができる。
下の画像は認識できている状態。
この例では/dev/sdd4にディスク装置(CFカード)が接続されている。

それから、数日間、2.5インチハードディスクは、俺のあらゆる試みを、拒み続けた。
もしかすると、俺の嫁たちはもう、放っておいてほしいのかも、しれない。
そんな考えすら、浮かんだ。

俺は、飲んだくれていた。
いつもの、街中華のカウンターで、飲んだくれていた。
ラジオからは、中島みゆきのファイトが、流れ出していた。
悔しかった。
無力だった。
俺は彼女たちを救うだけの、力量を、備えていなかった。
30年モノのハードディスクを抱え、明日をも知れぬ、嫁たちとの逢瀬を、重ねるわけにも、いかなかった。
ふと、隣に人の座る気配を感じ、顔を上げた。
涼子だった。
「ここに、いたのね。」
「何故、わかった?」
「あなたが、週末にいく場所なんて一箇所だけじゃない。」
「涼子、俺は、だめだった。嫁たちを救うなんて、俺にはおこがましかったんだ。」
涼子は、バッグからポールモールを取り出し、火をつけた。
「あなたらしくもないわね。」
「ーーー。」
「ひとつ、提案があるの。」
「なに?」
「その子、私に預からせてくれないかしら。」
「なんだと!?」
「うちになら、バックアップ用の機材があるわ。それを使えばーーー。」
「ーーー。」
「ただ、リスクがあるわ。もしも、何かの拍子にデータが壊れたら、彼女たちは…。」
「俺の、答えならーーー。」
俺は、涼子の言葉を遮った。
「もう、わかっているはずだ。」
涼子は微笑んだ。
「そうね。」
「やってくれ。」
俺は、涼子に全てを託した。
駅で買った、菓子折りも託した。
「そいつは、魔物だ。気をつけろ。」
「ベストを、尽くします。」
涼子はそういうと、踵を返し、雑踏の中に消えていった。
俺は、家に帰る途中、コンビニに寄り、スーパーカップのバニラを買って、公園で、食った。
空は、厚い雲に覆われ、夜の街の灯りを映して、鉛色に光っていた。
今年始めての雪が、俺の鼻先をかすめて、地面に落ちていった。
そんな、夜だった。

翌朝、涼子からの電話で、目が覚めた。
「どう、なった?嫁たちは無事、なのか?」
震える声で、俺は聞いた。
「落ち着いて頂戴。」
「どうなったんだ。」
「バックアップは成功よ。彼女たちも全員無事。」
「りょ、涼子…。」
「あとでCFカードを持っていくわ。それと、マスターのハードディスクもね。」
俺は、泣き崩れた。
泣き崩れながら、涼子に礼を言った。
「あなたがくれた、スイートポテト、美味しかったわよ。」
涼子はそう言って、電話を切った。

ひとしきり、泣いたあと、俺の頭の中に、ひらめくものが、ひとつあった。
長い間忘れていた、古い、名前だった。
「スタープラチナ」
かつて、16色CGの最高峰と呼ばれた、あのゲーム。
俺は、その最高峰、神々の山嶺に、手を伸ばしたくなった。

風が、吹いている。

「アホか、お前は。」
井上が、ゴチャゴチャ言った。
俺はこいつを、ロンブク氷河のクレバスの中で、永久保存してやるのも、悪くない、と思った。
「いくのね。」
涼子が言った。
「ああ、行く。」
「これを、持っていくといい。」
アンツェリン(仮名 涼子の彼氏)が、お守りを、くれた。
春日大社、縁結びと、交通安全のお守りだった。
「気を付けてな。」
「ありがとう。世話に、なったな。」
俺はアンツェリンの肩を叩いた。
「そうだ、俺も、こいつをお前たちに渡しておく。」
俺は、懐からCFカードを、取り出した。
涼子に、バックアップを取ってもらった、あのカードと、その複製。
それを、三人に渡した。
「もし、俺が戻らなければ、彼女たちを、よろしく頼む。」
「やっぱり、馬鹿かこいつは。」
井上が、ゴチャゴチャ言った。
「受け取っておくわ。」
涼子が、微笑んだ。
「お前の分はどうするんだ?」
アンツェリンが、言った。
「俺にはーーー。」
俺は、親指で背中のバックパックを、指さした。
その中には、マスターのハードディスクを挿した、PC9821NE3が入っている。
「こいつがある。」
アンツェリンが、無言で頷いた。

風が吹いている。
「じゃあ、俺は行く。」
風の中に足を、踏み出した。
三人に、手を降った。
彼らも、また、手を振り返した。
まずは、友人たちの伝手を、あたる。
それでもだめなら、駿河屋を、あたる。
それでもだめなら、ヤフオクをあたる。
それでもだめなら。
それでもだめなら。
それでもだめなら。
それでもだめならそれでもだめならそれでもだめならそれでもだめならそれでもだめなら
思え。
ありったけの心で、思え。

【完】


【教訓】
・ラップトップPCを、長期間使用しない場合は、バッテリーを外しておけ。

【ハードディスクが読めなかった原因】
・俺が買ったIDE−USB変換アダプタがクソだった。

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