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【書評】早乙女宏美『ストリップ劇場のある街、あった街』

 ストリップとは「芸」である。
 早乙女宏美『ストリップ劇場のある街、あった街』を貫いているのは、この信念である。だが同時に、ストリップは「性風俗」であるという現実も眼差している。自身、SMのパフォーマーとして劇場に立っていたのだから、そうした現実が誰よりも鮮明に見えていただろう。
 たしかにストリップは風営法改正とともにその性風俗的側面を後退させ、「ショー」の様相を濃くしていったかに思われる。かといって早乙女は、そうしたストリップの歴史の変化を素朴な進歩として捉えているわけでもない。性的サービスの退潮と交代するようにして現れたポラロイドショーの隆盛により、劇場が「小銭稼ぎ」に終始するようになったという苦々しい記述も見受けられる。また、そのことで踊り子と観客の距離が近づき、ステージ上の芸に専心できなくなった側面にも言及する。
 他方で、マナ板ショーや個室サービスをしていた踊り子たちに、観客にされるがままではない芸、あるいは強かさを読む視線もある。性風俗的要素は必ずしも、ストリップの昏い部分だったと語るわけでもない。ことの実態は複雑微妙である。
 こうしたストリップのありようは、タイトル通り、市民の大衆娯楽として存在していた劇場の立地的環境から解きほぐされる。描かれるのは浅草・新宿・船橋・札幌の四都市。それぞれの繁華街の成り立ち・成り行きの具体は、法規制やメディアの移り変わりという時代の流れのなかで人々が何を求め、欲望していたのかに還元されるだろう。
 もっとも、早乙女の記述は劇場を軸にした都市論・風俗論としてそれを俯瞰的に整理するというよりは、個人的な記憶やインタビューを頼りとして、ディテールを際立たせる仕方にこそ読みどころがある。であるから、多くの人が語り続ける浅草や新宿といった大きな街にも増して、自身も書くように記録の類に乏しい船橋の劇場をめぐる記述にいっそうの冴えがあるように思う。
 たとえば、若松劇場そばの食堂「大和」にかんするエピソード。ここでは劇場の常連が店にいつくのではなく、劇場オーナーの飲み友達たちがやがて劇場へと通いだし、互いに行き来していたという。そもそも、劇場で「店長」という役職を与えられた人間も、オーナーが常連だった焼肉屋の経営者だったのだというから、なんとも人間くさい話ではないか。この「店長」もまた、近所付き合いを欠かさなかったと語られている。これらは、現在のいくつかの劇場にも似姿が思い当たる。若松に行ったことのない者でも、もしかすると想像のうちにそれを好ましく思うことができるかもしれない。
 だが、こうした記述もやはり時代を追うなかで、「アイドル路線」と呼ばれるAV出身者の踊り子を中心とした追っかけ文化の発生によって微妙にニュアンスを違える。件の店長の談話においても、客層の変化とステージの質の変化──端的には「芸」をめぐる視線の不在と言っていい──を語っている。現在は馴染みの、観客がステージに向けて行うタンバリンやリボンの登場についても、どちらかといえば否定的側面が語られている。これは、札幌編にも登場する、渋谷道頓堀劇場の元社長矢野浩祐の書いた『俺の「道頓堀劇場」物語 渋谷道玄坂百軒店より愛をこめて』で語られているものとはいささか異なった視点だ。
 街は変わる。ストリップは変わる。しかし、その変化の意味は各々によって、また変わる。早乙女にしても、そうした変化の中に巻き込まれている。歴史を紐解きながらも、その街の、その劇場の、その踊り子の声を手繰り寄せる傍らで、常に客観的な観察者ではあり得ず、むしろ早乙女自身が今はもうそこにいない/かつてそこにいた者のひとりとして語っている個別的な姿が浮かび上がってくるだろう。本書の語り自体を、早乙女が拾い上げてきたひとつひとつの声のようなものと連続して、読者である私たちが聞くことになる。その声色には、親しみと距離の両方がある。
 現在のストリップには、何よりもそれが「芸」であるとするような、ステージへの信念は、いくらかは薄らいでいるだろう。けれども、ストリップにはそれが「芸」に他ならないと語り継いできた人々の営みがあり、またそこに、その営みの実際を知らない私たちの営みが重なっていく。これが衰退なのか、または希望なのか、いずれにしても、それを高みから見下ろして判定しようとすることに意味はないだろう。
 あとがきには、昭和から令和のストリップの変化をあらためて整理する箇所がある。現在のストリップへの見立ては決して楽観的ではないが、ストリップが好きだという踊り子たちや、SNSで感想を書く主に女性客たちの存在を拾い上げている。
 早乙女は今もまだ、ストリップをめぐる声に耳を傾け続けている。


 

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