反省

来年にやる個展に続いて地元仙台での展示を考えていた。出す作品は使い回すつもりだったので、展示自体は難しくない可能だと思っていたが、今回仙台に足を運び、目星をつけていたギャラリーの展示をみて考えを変えた。旅行中薄々展示企画に無理があるんじゃないかと感じ始めたところで、少し打ちのめされている。
元々コンセプトを練り上げていたわけではなく、なんとなく何か仙台でやりたいなとうっすら考えていたくらいであった。知り合いとか軽く呼べればそんなものでいいかなくらいで考えていた。今回仙台に旅行に行くことに合わせて、目星をつけていたギャラリーを見て、良ければそのまま展示企画を予約してしまおうと思っていたのだが、考えが変わった。
丁度開催中であった同級生でもある作家、門眞妙さんの展示を観て、その考えは甘いと打ちのめされた。門眞さんは数年前に東京から地元仙台に居を移し制作をしている。展示内容の練度の高さに加え、身の回りの風景なのかまたどこでもない風景なのか曖昧な景色と誰でもない少女たちが、仙台で開催しているということと良く絡み、強い説得力を産んでるように思えた。もちろん作品は作品だけで評価すべきなのだろうが、展示企画としての完成度の高さを感じた。
では、自分が仙台で開催することになったらどういうものになるであろうか。以前noteにも書いたように僕には地元のようなものがないように感じている。またはいくらでも地元たり得る場所は存在するのではと書いた。僕の作品はひどく個人的なものだし、何かと紐付けしづらいものになっている。それらを並べて自分の立ち位置を見つめ直したいと思ったのが、来年個展をやろうと思ったきっかけだ。だからありのままやればいい。だが、仙台でやるとなったとき、なぜ仙台じゃないといけないかを旅行中何度も反芻していた。地元でもある。今は度々旅行で足を運ぶ土地。震災のことも深く刺さっている。親族や知り合いがいる。そのどれもが理由になりそうで、イマイチ確信足り得ないものであった。恥ずかしい話地元に錦を飾るなんてダサい気持ちがあったことも拭えない。ひどい話だ。大した客も引けず、内容も悪かったら最悪の思い出になる。この企画自体に僕の驕りがあったということだ。
今は来年の個展に向けて真摯に制作に取り組むことがやるべきことだ。その内容次第ではまた企画を練り直してよいとしよう。まずは一つ一つだ。この37歳まで二の足を踏み続けたのだから焦る必要はないのだ。僕の作品は素人臭いものであるならばそれをそのまま制作し発表する、胆力がこれから必要になる。頑張ろう。

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