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自由に生きるのは幸せか?20代自分のために生きる代償は?30代誰かのために生きる限界とは?

20代で富裕層になり、やりたいことを仕事にして自由な生活を送るも、ビジネスの現実とテイカーに直面し働くことに嫌気がさして「働かない」生活をするようになりました。

30代になったいま、資産を築いたことで新たに「遊ぶように仕事をする」という考え方を取り入れ、フロー体験や至高体験を求めて実行しています。

限られた人にしか伝わらないnote。

20代で経済的自由な生活になった成功と失敗、SNSでは言えない裏と表の経験談を赤裸々にまとめていきます。

▼ 前回のnote

■ 自由に生きるよくある成功体験に飽きた


僕自身、FIREして仕事をやめることには否定的な立場です。だからこそ、これまで資産運用に関する情報発信はしてきませんでした。


「この資産運用で億万長者になりました」
「FIRE達成して自由に生きれて最高です」
「FIREしたいならこの金融商品を買え」

といった類の世に出たノウハウ本をいくつも読んでみましたが、どれも本質は同じように見えてしまいました。

要するに「複利の力を使って資産を増やす」という本質を理解できればいいわけです。

「節約して投資に回せ」
「自己投資として副業をしろ」
「オールカントリーや米国のETFを買え」
「高配当株に分散投資をして早期退職しよう」

これらは、社会人としてのキャリアの始めから節約生活をし、貯めたお金を元に複利の力で資産を増やし、自分の生活に必要な資産シミュレーションを安心材料に早期退職するというモデルです。

FIREの概念自体は肯定的に捉えています。経済的自立を達成するための資産のシミュレーションとして思考実験することには意味があると考えています。

しかし、早期リタイアの現実には幸福な面も不幸な面もあります。FIRE生活には表も裏もあるのです。自由で楽しく生活できる反面、実際に体験してみることで見えてくる失敗や後悔も存在します。

成功者の成功体験はポジティブで良いものですが、リアリティを重視する身としては、より紆余曲折のある失敗談や葛藤の過程を紹介する方が興味深いのではないかと考え、まとめることにしました。

世にある体験談は、経済的自由になった人の「その後」の話が少ないからこそ、実際の体験を赤裸々に綴っていきます。

多くが整えられた成功者の武勇伝であるからこそ、裏も表も伝える現実的なコンテンツを発信していきます。

■ 働くことが幸福度を高める


世界三大幸福論の一つとして名高いカール・ヒルティの『幸福論』では、「労働を幸福の必要不可欠な要素」として捉えています。


著者は『汝、額に汗してそのパンを食うべし』という「旧約聖書」の一文を引用しつつ、労働から生まれる自己実現や社会貢献、精神的成長を通じて得られる満足感が幸福に寄与すると述べています。

今から130年以上前の1891年に発表され、世界中で読まれた幸福論の作者であるスイスの哲学者が言うからこそ、深みがあるわけです。

現代を生きるためにはお金が必要不可欠です。労働をして受け取る対価としてのお金をわざわざ否定して何もしないのは人生を損しているわけです。

結局のところ、ビジネスも人生も、終わりのない旅のようなものです。重要なのは、その過程を楽しみ、常に学び続けることです。そうすれば、どんな困難も乗り越えられるはずです。​​​​​​​​​​​​​​​​

■ 仕事という「趣味」の選択肢を自ら捨てる必要はない


働かないことだけを目標にするのは人生を損します。


FIRE生活に必要な資産シミュレーションをする知識や金融市場への投資をする概念には肯定的です。ただ、リタイアして仕事をやめることには否定的です。ヒルティがいう労働の幸福にもあるように、働く選択肢を狭める必要もないわけです。

働かないことだけを目標にすべきでない理由は、自ら仕事という「趣味」の選択肢を減らすのは無意味だと考えるからです。

僕も20代で会社員を辞め、フリーランスとなり、自分でビジネスを始めると感覚は一変しました。やりたいことを中心に仕事を作っていくので、毎日刺激的でかなり充実していたわけです。イメージしたアイディアを具現化するために、できることは何でも試行錯誤しました。

20代が終わる頃、自分のためだけに収入を増やすことに飽きてきました。「もっと人生を面白くしたい」「誰かのために仕事をしたい」と考えるようになりました。だからこそ、仕事を続けています。

仕事という「趣味」にもなる選択肢を自ら捨てるのは、人生のおもしろさを半減させているとさえ言えます。働くことは金銭的報酬以外にも様々なものを享受できるからです。​​​​​​​​​​​​​​​​

■ 共感できる人は誰もいなかった


早期リタイアをすれば、人付き合いは狭まります。20代で仕事を辞めるとなると、周りには似た境遇の人は誰もいないわけです。職業や収入に関係なく、自由に生きている人はほとんどいませんでした。


地方のような人があまり集まっていない場所となると、20代で時間もお金にも自由に暮らせる人さえほとんどいませんでした。僕自身の経験からいうと、同じ境遇の人に出会うことはありませんでした。

ただ、SNSではキラキラした世界が広がっています。残念なことに有名な人に会ってみて思うのは、世界観が作られたフィクションであることが多い点です。勢いがある若い世代はたくさんいたものの、ブランディングの一環として、お金を持っている風に発信する人もいました。

なかには、綺麗な部分だけを切り取って発信しつつ、憧れたフォロワーを養分にして、高額な商品やサービスを販売して搾取している人もいるのも事実です。

僕自身、騙されたことがあります。

第一印象はものすごく紳士な印象を受けたものの、裏で操っている大人はテイカーで純粋な人を貶めるようにコントロールしていたということもありました。直接関わった人は素直な性格でした。おそらく本人も騙されているとは思っておらず、素直だからこそ悪気なく人を騙している状態だったわけです。

世の中は表面上は良く見えても、裏では人を騙そうとする者もいます。性善説と性悪説がどちらも混在しているからこそ、気をつけなければなりません。

■ 誰かのためになるコミュニティをつくった代償


20代の頃、「価値観を共有できる人を集めたい」「似たように悩んだ人のためになりたい」「もっもおもしろいことがしたい」という理想があったからこそ、コミュニティをつくるビジネスも試しました。


一つの試みとして、「自分のためだけに生きる」のではなく「誰かのために生きる」という、自己完結な働き方から社会貢献を目指す働き方を意識するようになりました。

自分が会社員時代に欲しかった「会社以外の居場所」ができるフリーランスコミュニティをつくってみたり、海外でみんなで一緒にイベントを開催できるような「海外ノマドワーカーの居場所」を作ることに奔走しました。

おもしろい人が集まれる場所を作りたいと思って始めた結果、数百人が集まるコミュニティになりました。個人的に苦手な高額販売するようなサービスは一切やらず、低価格で毎日楽しめるメルマガのようなサロンをつくりたかったのです。

ただ、残念なことにパンデミックを境に、オフラインイベントができなくなり勢いが落ち込みました。

「居場所」として提供したかったにもかかわらず、オンラインのみでは上手く活動することができませんでした。結局、居場所としての機能はもたらすことができず、中身はただのメルマガのみとなり、その頃参加してくださった方のなかには、満足できなかった人もいたはずです。

読み物としておもしろいものを提供するために奔走しましたが、交流の場としての機能は持てなかったサービス運営の失敗です。

この失敗は、独立して仕事をしてきた中での心残りの一つです。誰かのためにより良いサービスを提供したいと思っていた身としては心の代償を感じています。

■ 仕事は自己超越するためにツール

前回のnoteでも紹介したように、人生の充実度を増すためにも、チクセントミハイのような「フロー体験」やマズローがいう「至高体験」を感じること、ホイジンガの「遊びを仕事にする」働き方を目指すのがいいわけです。

もっと言うと、現代人にとって、「仕事は人脈を維持するツール」にもなります。特に男性は、一般的な65歳の定年を迎えた後に「やることがない」状態になってしまう人がほとんどです。

老後は体も弱り、特にすることがなく、本当に食べて寝るだけの生活になってしまう、鬱状態で病気になってしまう人もいるくらいなのです。

実際、早期リタイア生活をしてみるとわかったのですが、本当に病気になってしまうくらい何もすることがありません。

ニーチェは『ツァラトゥストラはこう語った』で「創造的な生」について説いています。自己超越や新しい価値観の創造を通じて人間の可能性を探求することが述べられています。仕事を通じて自己を表現し、新しい価値を生み出すことこそが、人生の本質的な喜びとなるのです。

僕自身の経験からも、完全なリタイア生活よりも、自分の興味や情熱に基づいた仕事を続けることで、より充実した日々を過ごせることがわかりました。仕事を通じて学び、成長し、人々とつながることで、人生はより豊かになるのです。

だからこそ、仕事を趣味として続けつつ、おもしろいことをつくるのがポイントになるわけです。趣味を通じて人脈を広げる感覚で仕事を続けると、より人生の選択肢が増えます。

結局のところ、仕事という「趣味」は、単なる金銭的な報酬以上の価値をもたらします。それは人生の意味を見出し、社会とつながり、自己実現の機会を提供するツールとなるわけです。

ただし、ストレスや競争に押しつぶされないよう、自分のペースで楽しむことが大切です。そうすれば、仕事は単なる義務ではなく、人生を彩る重要な要素となるはずです。​​​​​​​​​​​​​​​​

■ 誰かのためになる知的生活


人生を充実させるために取り得るべき思考があります。それが「知的生活」です。これが自分のためにも誰かのためにも生きます。


1976年に発行され118万部を超えるベストセラーとなった渡部昇一の『知的生活の方法』では、日常生活の中で頭の回転を活発にし、オリジナルな発想を楽しむ生活のおもしろさが述べられています。

例えば、本を読み、考え、友人と話し合うこと、そして本や論文を書いたり、メディアに意見を発表するような、情報を得て、実生活で情報を使う楽しさが薦められています。

『知的生活とは絶えず本を買いつづける生活』とあるように、情報収集をしながら考えることが書かれています。本著は50年前のスマホやパソコンなどのテクノロジー発展していない時代に発行されました。

当時は知的生活には本の存在が欠かせなかったのですが、今はスマホがある時代です。だからこそ知的生活はより容易になりました。

また、知的生活の父と呼ばれるフィリップ・ギルバート・ハマトンの『知的生活』も重要です。150年前に書かれたこの本は、今でも名著として愛されています。ハマトンは、知的活動が人間の精神的な成長や満足にとって不可欠であると主張しています。

結局のところ、かつては限られた有閑階級の人々のものだった知的生活が、今や誰もが楽しめるものになりました。あらゆる情報を収集し、思考を楽しむ生活が世界中どこででも体現できる時代なのです。この機会を活かし、自分なりの知的生活を築くことが、人生をより豊かにする鍵となるわけです。​​​​​​​​​​​​​​​​

だからこそ、僕自身、知的生活という名の発信を仕事として続けています。自分のためだけに生きる限界を感じたからこそ、今度は、誰かのために発信することにしました。限られた人にしか伝わらないニッチな情報を、裏も表も赤裸々に発信しています。

■ 自己超越と他者貢献の意識


自由に生きることは必ずしも幸せの保証にはなりません。単に「働かない」生活は空虚さをもたらします。仕事という趣味のように没頭できる選択肢を減らす必要はありません。


また、自分のためだけに生きることの代償は、人とのつながりや人生の意義を見失います。一方で、誰かのために生きることも簡単なことではありません。他者のための活動に没頭するあまり、自己を見失ったり、燃え尽きてしまう危険性があるのです。

理想的なのは、自己実現と社会貢献のバランスを取ることです。仕事を「趣味」として捉え、フロー体験や至高体験を通じて自己を高めつつ、同時に他者や社会に貢献することが重要です。

知的生活を送り、常に学び、成長し続けることで、自分自身の充実感を得ながら、その知識や経験を他者と共有することがポイントです。貢献する気持ちを持ち続けることで、自己と他者、両方のために生きる道が開けるのです。

結局のところ、幸せとは単なる自由や金銭的豊かさではなく、意義ある活動を通じて自己を超越し、同時に社会とつながることから生まれるモノです。

自由に生きることと、誰かのために生きることのバランスを取りながら、常に新しい挑戦を続けていくことが、真の充実した人生につながるのです。​​​​​​​

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このnoteでは、限られた人にしか伝わらないニッチな情報を、偉人たちの言葉や最新エビデンスを元に主観を交えてお届けします。似た考えの人が共感でき、新しいことを始めるきっかけとなるようなコンテンツを発信していきます。

人生をより面白くするための試行錯誤の様子をまとめていきます。20代で経済的独立をした背景や30代の自由な暮らしのリアルを表と裏も含めて赤裸々に紹介します。面白さを追求して日々奔走する姿をお伝えします。

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