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今に変わらず、当時も世界はパンデミックに見舞われていた。

『ハムネット』マギー・オファーレル 小竹由美子 訳


髪を飾る花冠のために野に咲く草花を摘みに行く話といい、双子の兄妹の入れ替わりといい、魔女の予言によって夫の出世を知った女が、夫をその気にさせ、いざ事が成就した暁にその報いをうける運命の皮肉といい、人に知られた悲劇、喜劇を換骨奪胎して一つに縒り合わせ、マギー・オファーレルは一篇の小説に仕立て直した。これはある「比類ない人」に捧げる一篇の叙事詩なのかもしれない。

多国間を旅する商船のキャビンボーイが、寄港したアレクサンドリアの港で猿使いの猿から一匹のノミをうつされる。やがて、それは船で飼われている猫に、船の中のネズミにと宿主を変えていき、多くの死者を出しながら、船は各国の港に停泊する。船員たちが「アフリカ熱」と呼ぶそれは、死に至る症状のせいで「黒死病」とも呼ばれる「腺ペスト」のことだ。

そんな時代のイングランドの話。ロンドンから馬で何日もかかるウォリックシャーはストラトフォードで手袋商を営む一家がいた。十八歳になる長男はグラマースクールも出てラテン語に熟達しているが、手袋を作ったり売ったりすることに興味が持てず、屋根裏部屋で本を読んだり、何かを書いたりしていた。当然、父親はそんな息子のことが気に入らず、何かといえば癇癪をおこして手を上げるので、二人の仲は険悪だった。

ある日、父親が借金の肩代わりに息子に家庭教師をさせる約束を取り付けてくる。仕方なく出かけた農場で、ラテン語教師は農場の娘に出会う。アグネスは先妻の子で、継母は自分になつかない長女を嫌っていた。腕に鷹を止まらせた長身の娘のことは、町で噂になっていた。人の皮膚をつまんで過去や未来を読み、薬草で病気を治すことができる娘を、人々は頼りにしながらも恐れ、中には魔女と呼んだり、頭がおかしいと言ったりする者さえいた。

二人は結ばれ、結婚の約束をするが、一つ問題があった。アグネスには父の遺産があり、八つも年下の手袋商の息子との結婚を継母が認めるはずがなかった。しかし、アグネスが妊娠したことで問題は解決。若夫婦は手袋商の家の離れで暮らすようになる。てきぱきと家事をこなすだけでなく、下働きの者たちへの指示も的確で、手袋商の家は見ちがえたようになる。やがて、二人の間に子が生まれる。ハムネットとジュディスという双子の兄妹だ。

二人はすくすく育つが、その父親は祖父との間にある軋轢で自分を見失っていた。夫の体から嫌な臭いがしてきたことで、アグネスもその危機的状態を知る。夫の皮膚と肉をつまんだときから、彼女には彼が大きな世界に出て行く人だと分かっていた。そのためには夫はこの家を出てロンドンに行く必要がある。アグネスは実の弟の助けを借りて、祖父をその気にさせることに成功する。

この小説は、幼いハムネットが医者を呼びにいくところから始まる。妹が熱を出したのに家に大人がいないのだ。小説や戯曲に主人公の名をつけるのはよくあることだが、ハムネットは主人公ではない。ただ、彼の存在が小説の核となっている。ハムネットが語る現在の物語に彼の誕生以前、両親の出会いから結婚に至るまでの過去の物語が、カットバックで挿入される。場面が変わるたびに、ハムネット、父、母、姉、と視点はくるくる入れ替わる。

張られていた伏線が一気に回収される。ジュディスの病気は腺ペストだった。アグネスと義母の必死の介抱の甲斐あってジュディスは奇跡的に助かるが、それで済むはずがなかった。ジュディスの看病にかかりきりだったアグネスたちの目をすり抜け、病魔はハムネットに襲いかかる。服を交換した二人が入れ替わって家族をからかうのはハムネットが考えた遊びだった。ハムネットは死神の目をごまかそうと妹の服を着て妹のベッドで寝たのだ。

息子が母を探し回っていた時、アグネスは蜜蜂の様子を見に実家の農場に帰っていた。蜜蜂の世話をし、ついでに野に咲く草花を集めている間、ハムネットは一人で妹を助けようと必死だった。「どこへ行ってたのさ」と母を責めるハムネットの声が耳に蘇る。こんな大事な時に、父親をロンドンに行かせたのも私だ。人の未来を読めるはずの自分が大きな過ちを犯してしまった、という思いがアグネスを追いつめる。なまじ、人の未来が読め、病気を治す力が自分にあることが悔やまれてならない。

そんな時、夫の劇団の新作が『ハムレット』と知ったアグネスは夫の真意を考えあぐね、ロンドンに駆けつける。アグネスにはモデルがいる。ヨーマンの娘で名前はアン・ハサウェイ。有名な夫の陰になって割を食っている感がある。文豪の作品を現代風に書き直すのが流行りだが、これも「語り直し」の一種。同じ事実を扱いながら、視点を中心人物から周辺人物に変えることで、見慣れた図柄に全く異なる角度から光が当たり、煤や脂をかぶっていた絵が、今描かれたばかりのように新鮮に立ち現れる。

アントニイ・バージェスも自著の中で、アンについて触れているが、若い男を手玉に取り、妊娠の事実を突きつけ、結婚にこぎつけた婚期を逸した女という従来の解釈から逃れられない。マギー・オファーレルは、アンを手垢のついた女性像から解き放ち、野性的で才知溢れる魅力的な女性にした。どこであれ人目を気にせず草花や小動物と戯れるアグネスのなんと輝いていることか。目に見えるような自然描写や、胸に迫る人物の心理描写が、まるではじめから日本語で書かれたかのように読めることを訳者に感謝したい。


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