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1993年のオーストリア・モーツァルト №60〈ウィーン №12〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №12(シュティフタ―とベートーベン)
1993(平成5)年7月20日(火)午前
したくをして部屋を飛び出した。まずホテルのクロークで教えてもらったアーダルベルト・シュティフターの博物館をめざしてリンク(周遊道路)の路面電車1番に乗った。(※1)
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ウィーン大学の近く ベートーベンが住んだ部屋とシュティフタ―の博物館
BEETHOVEN-WOHNUNG ベートーベン アパートメント
ADALBERT STIFTER-MUSEUM アダルバート シュティフター博物館
4 ETAGE 4階
1番が時計回り、2番が反対周りで周回している。ウィーン大学前で降りて探したがなかなか見つからない。キョロキョロやっと見つけたら、ベートーベンが一時住んでいた部屋の展示館と同じフロアにあることがわかった。(※2)
彼もたしか引越し魔だったのでウィーンのあちこちに住んだそうだ。まず、そのベートーベンの部屋に入った。二部屋でピアノや絵などが陳列してあった。(※3)
![](https://assets.st-note.com/img/1689318740899-ZcPuKk25rD.jpg?width=1200)
最初にベートーベンの部屋に入りました
アマーリエ・ゼーバルトの肖像画が掛かっていました
アマーリエは20世紀の初頭にはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの
「不滅の恋人」であると考えられていました。(ウィキペディア)
![](https://assets.st-note.com/img/1689318755639-GDL4GiTBk7.jpg?width=1200)
ベートーベンが使っていたフォルテピアノ
ペダルが5本もありました
![](https://assets.st-note.com/img/1689318766278-pZkTHbzu7v.jpg?width=1200)
ベートーベンの胸像
どこかで目にしたおなじみのベートーベンの表情ですね
つぎはシュティフタ―の方。こちらは僕だけ。展示のほとんどは彼が描いた絵だった。絵と小説とどっちが本職か分からない。(※4)
![](https://assets.st-note.com/img/1689318828898-q3BJAsnOcg.jpg?width=1200)
つぎにアーダルベルト・シュティフタ―博物館へ入りました
彼の肖像画が出迎えてくれました
![](https://assets.st-note.com/img/1689318844946-cGZd1eCZe0.jpg?width=1200)
シュティフタ―愛用の羽ペンと原稿
![](https://assets.st-note.com/img/1689318858585-6f607FzVh7.jpg?width=1200)
これは小説「水晶」の一場面を連想させる習作
作中妹のザンナが兄コンラートに「そうよ、コンラート!」と何度も喋りかけます
この絵を見たときザンナの声がきこえるように感じました
中に”KRISTAL”という標題の絵があったのできっと彼の小説「水晶」の挿絵に違いないと思って係の女性に聞いた。でも、通じなかったか、彼女が知らなかったかのかして確認できなかった。(※5)
![](https://assets.st-note.com/img/1689318886831-up81G9gH6h.jpg?width=1200)
博物館の窓から臨機道路を挟んで見えるのはウィーン大学の建物
こんなに間近に見えました
シュティフタ―も学んだウィーン大学です
――つづく――
※1 アーダルベルト・シュティフタ―(1805年10月23日 - 1868年1月28日)は、オーストリアの作家・風景画家。学生時代に岩波文庫で読んだ「水晶」の魅力に嵌って以来忘れられない作家となりました。
※2 シュテュフターはウィーン大学に入り法学をまなびながら最初、画家で身を立てるつもりでした。後年偶然に幸いされて作家の道を歩みます。
※3 この部屋は正式には「パスクヴァラティハウス」と呼ぶそうです。35年間ウィーンに住んで何十回も引っ越したベートーベン。やはり引っ越しが多かったモーツァルトもびっくりの回数です。
※4 シュティフタ―人気はもっとすごいものだという事前の想像は消し飛びました。でも私のような静かなファンが、もちろん本国オーストリアにも多くいらっしゃるはずです。
※5 さすがに絵が上手です。彼が書いた風景画は小説より先に売れていたそうです。小説が売れていなかったら、画家として名を成していたに違いありません。
学生時代にはシュティフターをはじめ、メーリケ、シュトルム、ケラー、カロッサ、ノヴァーリス、ヘッセなど、独墺系の小説が好きになりました。
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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