1993年のオーストリア・モーツァルト №56〈ウィーン №8〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №8(郵便局、日本へ小包を送ろうとしたら……1)
1993(平成5)年7月20日(火)朝
さすがに郵便局は近い。まず箱を15シリング(約150円)で1個買った。部屋に戻って中身を詰めた。もう旅行に必要のない本と、こっちにきて集めたパンフレットなど。(※1)
日本のあて名を箱にしっかり書いて再び郵便局へ抱えていった。ところが重さを量ると5キログラムもあって、しかも書籍と印刷物、それに身の周りのものが混在している。
このまま送るととても割高になるらしい。そのうえ申請書も書かなくてはならない。説明によると、書籍だけでは5キログラム、印刷物だけでは2キログラム以下であれば割安の料金体系なのだそうだ。(※2)
困ったなあという僕の顔を見て、係の男性が気を利かして本だけを取り出しはじめた。ところがそうしても残りが2キロを超えている。(※3)
――つづく――
※1 日本から持ってきていた、ザルツブルクに関する本や、ザルツブルクで買った本、博物館の案内書、その他何やらかにやらでリュックがかなり重くなってきました。
※2 お国柄か、郵便料金に関してもそれぞれ規定があるようですね。
※3 説明も英語を交えてわかりやすく、親切な局員さんでした。この局員さんがさらに驚きの行動に出るのですが……。(次回へ続く)
※ この場面の前後の写真はほとんどありませんので、ウィーンのホテルにまつわる画像を載せました。あまりきれいなものでなくてすみません。ホテル自体は施設もサービスも良かったですよ。
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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