1993年のオーストリア・モーツァルト №64〈ウィーン №16〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №16(最終日の朝)
1993(平成5)年7月21日(水)朝
ちょっと起きづらかった。昨日の疲れか。食堂で朝食。日本人らしい家族連れがいた。部屋へ戻り出る支度をした。フロントで機能の飲みもの(ビール、コーラ)の精算をした。(※1)
リュックを預かってもらおうとして頼んだら、229の部屋番号を書いたシールを貼って、例のボーイがカウンターの奥へ運んでくれた。ダンケ(ありがとう)。(※2)
5時くらいまで預かってほしかったので「キャン・ユー・キープ・アンティル・フォー・オア・ファイヴ・オクロック?」と聞いたら、「ノー・プロムレム・サー」との返事だったので、ほっと安心した。(※3)
デイ・バッグを背負って外へ。まず機能の失敗を取り戻すべく、聖マルクス墓地へ。さっき、フロントの素敵な女性に聞いて確かめたU2の地下鉄に乗ってエルトベルク通りへ。(※4)
終点だった。途中で昨日迷走した見覚えのある風景に再会した。でも、オーケー、今日は見事な快晴でなにも苦にならない。(※5)
――つづく――
※1 アストリアホテルのサービスはさすがでした。日本語の詳しい説明書が用意されており、しかもかわいいイラスト入りでとても分かりやすかったです。
※2 旅行者の身になってあれこれ臨機応変に対応していただいた印象があります。
※3 「ノー‣プロムレム・サー」。「サー」と呼ばれて誰のことですかとは聞きませんでしたが、当たり前のこととはいえ気持ちよかったですね。
※4 U2ではなく、U3が正しいです。こんなことでよく目的地に行けたものです。フロントの女性が素敵すぎて舞い上がったものです。
※5 昨日の天気と打って変わって快晴で素晴らしい天気。身も心も軽やかに歩きました。
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
#オーストリア
#ザルツカンマ―グート
#モーツァルト
#30周年
#わたしの旅行記
この記事が参加している募集
最後までお読みいただきありがとうございました。記事が気に入っていただけましたら、「スキ」を押してくだされば幸いです。