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1993年のオーストリア・モーツァルト №66〈ウィーン №18〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №18(フィガロハウスへ行く)
1993(平成5)年7月21日(水)午前
門を出てちょっと行くと、左の住宅の出窓に猫がちょこんと座って僕の方を不思議そうに見ていた。(※1)
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マルクス墓地近くエルドベルクの街の住居犬
出窓に猫ちゃんの姿 日光浴中に脅かしてごめんね
カメラを向けると私に何をする気、と少し動揺している様子を見せたが逃げはしなかった。今度はシェパード犬を散歩している少女とすれ違った。(※2)
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「フィガロ・ハウス」
モーツァルトが絶頂期に住んでオペラ「フィガロの結婚」など作曲したのでこう呼ばれます
現在の呼び方は「モーツァルト・ハウス・ウィーン」と変わりました
![](https://assets.st-note.com/img/1689924396221-tZxE8ZzjhR.jpg?width=1200)
「フィガロ・ハウス」
入り口から見上げた様子
モーツァルトはウィーンで十数軒引越しをしたそうですが
建物が当時のまま残っているのはこのビルだけだそうです
帰りは地下鉄ではなく市電に乗って市街地へ戻った。あと特に行きたいのは3ヵ所。フィガロ・ハウス、聖シュテファン寺院の内部、そしてオペラ座。(※3)
![](https://assets.st-note.com/img/1689924416232-0TTCydpQia.jpg?width=1200)
「フィガロ・ハウス」
内部の部屋の様子広めの部屋が数部屋からなっています
当時の家具が残っているのでしょうか 素晴らしい
![](https://assets.st-note.com/img/1689924432716-CQczUGA2aP.jpg?width=1200)
「フィガロハウス」
ここに住んでいた当時はモーツァルトの人気も絶頂を博していた時です
友人知人がひっきりなしに訪れサロンのような雰囲気だったでしょう
最初にフィガロ・ハウスをめざして行った。モーツァルトがその絶頂期から晩年の時期を過ごした。部屋の壁の所々がはがれておりその上を透明のプラスチックでカバーしてある。(※4)
![](https://assets.st-note.com/img/1689924447434-Q6BVjw0SHL.jpg?width=1200)
「フィガロハウス」
逆光になってすこし暗く写りました
このころモーツァルトは収入も相当あったらしいですが
支出もそれに比例して 結局あまり残らなかったでしょうか
![](https://assets.st-note.com/img/1689924460772-sGzAh8D15b.jpg?width=1200)
オペラ『魔笛』のパミーナ(上段)とパパゲーノ(中段)のデュエット譜
チェンバロ伴奏(下段)『恋を知る殿方には……』
何だろうと不思議に思ってそばにいた係の女性に聞いたら、これも当時の様子を保存しているらしい。(※5)
――つづく――
※1 かわいい猫ちゃん。女の子かな? ぼくのことを怪しんだのでしょうか、それともイケメンが通ると思ったのでしょうか。ンなわけないか。
※2 ワンちゃんもよく見かけました。大型犬から手のひらサイズまで。いまでこそ日本でも洋犬の種類が増えましたが、当時は物珍しく思いました。
※3 帰りの飛行機の時間も決まっていたので、あまりたくさんはまわれません。日本へのお土産も買わなくては。
※4 映画『アマデウス』の映像なども思い出していました。余りのウィーンでのモーツァルト人気に、フォルテピアノがひっきりなしに部屋から演奏会場へ運ばれる場面です。
※5 楽譜は魔笛の二重唱でした。自筆の譜面ではなかったようですが。(OPERA ALLURE)
※6 最近のマルクス墓地とモーツァルトの墓標の状況です。随分美しく整備されているようです。(たびこふれ)
※7 最近のフィガロ・ハウス(モーツァルト・ハウス・ウィーン)の状況です。当時に比べてスッキリ整備されている感じがします。(ウィーンの街を公認ガイドと歩いてみませんか)
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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