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1993年のオーストリア・モーツァルト №67〈ウィーン №19〉

1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。

ウィーン♪ №18(聖シュテファン寺院」へ行く)

1993(平成5)年7月21日(水)昼ごろ

 どの博物館もフラッシュや三脚使用は禁止だが、撮影そのものは可能だ。日本だとこうはいかないケースが多いだろう。(※1)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
シュテファン寺院近辺の街並み
二つのビルの間に架かるおもしろいアーチを見つけました


〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
この界隈の路地を散策していて
ふと見上げるとシュテファン寺院の尖塔の姿が見えます

 途中でフィルムがなくなった。ホテルへ戻ってリュックの中を見たがフィルムの予備はなかった。近くのカメラ店でコニカの24枚撮り3本セットを99シリングで買った。(※2)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
シュテファン寺院の塔を登って
見ると聖堂の屋根が瓦の三色が印象的です

 聖シュテファン寺院へ行き、そこの入り口で15シリング払って進むと階段で、上がっても上がってもらせん状の階段が続く。(※3)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
シュテファン寺院の尖塔を登り切って窓から望むウィーンの街

 間違って、尖塔に登る道に入ったらしい。途中に踊り場もない階段をフーフー言いながらやっと登り切った。四つある窓はみんな満員の人だかりだったが、しばらく待ったら空いたので下をのぞいた。(※4)

〈オーストリア旅行 ウィーン観光〉
尖塔のらせん階段を登っていく途中の格子窓から寺
院の側壁を飾る彫刻とゴチック建築独特の「飛び梁」の一部でしょうか

 高い。帰りは段を数えながら降りた。すれ違う人とあいさつすると数を忘れそうなので不愛想を装った。(※5)

〈オーストリア旅行 ウィーンの街〉
聖堂のオルガンの試奏・点検でしょうか天上から舞い降りるような荘厳な音色が印象的でした
モーツァルトはシュテファン寺院の副学長を一時勤めましたこのオルガンも演奏したことでしょう

 
――つづく――


※1 フィガロ・ハウス、現モーツァルト・ハウス・ウィーンでは、最近は撮影禁止だそうです。30年前の方がおおらかだったということでしょうか。観光客が増えてきて、写真撮影による渋滞などの影響が出てきたのかもしれません。

※2 「フィルムカメラあるある」ですね。現代のスマホやデジカメだと、メモリが満タンになってもクラウドに移動すれば済むので楽ですね。

※3 まずは聖堂内、次に尖塔と考えていたのが逆順になりました。この聖堂でモーツァルトの結婚式、子供の洗礼、自身の葬儀が催されました。

※4 ほかの観光客もウィーンに来たからにはここへ来ないと、という気持ちで登ったのでしょうね。

※5 ここでクイズです。尖塔の階段は約何段あったでしょうか?
A.150段、B.350段、C.550段
正解は次回のお楽しみです。



※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。

#オーストリア
#ザルツカンマ―グート
#モーツァルト
#30周年
#わたしの旅行記

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らいとらいたあ
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