1993年のオーストリア・モーツァルト №51〈ウィーン №3〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №1(IC急行、車内の出来事)
1993(平成5)年7月19日(月)午後
さっきからのどが渇いて、ここでは車内販売などないのかなと思っていたところに来た。「コーラ、プリーズ」と頼んだが、ジュースもあったので「ジャスト・ア・モーメント」とジュースに替えてもらった。(※1)
コンパートメント(個室客席)は快適にできていて座席はちょっとだがリクライニングするし、枕も上下に動く。網棚も頭の上に2段ついており、温度調節のスイッチ、くず入れもある。(※2)
……今、変な男が通路から中に入ってきて、自分はユーゴスラビア人だが30シリング(約300円)くれと要求してきた。断ると20シリングでいいと値下げした。(※3)
あまり怖そうに見えなかったので、「ノウ、アイ・ハヴ・ノウ・マネー」と言ったら諦めたらしく出て行った。(※4)
また戻ってきたらどうしよう、と少し不安だったが、結局間もなくウィーンに着いて、あの男は二度と現れなかった。(※5)
――つづく――
※1 日本では、女性がカートを押して売ってくれるのが多いですが、このときはどうだったか。あまり覚えていません。男性のスタッフだったからかもしれません。
※2 日本の列車でコンパートメントといえば、余り多くありませんよね。東京出張のときに寝台車に乗った記憶があるくらいです。オーストリアでは一般的なようでした。
※3 ウィーンは治安がいいことで有名な都市と思っていたので、ちょっと意外な出来事でした。小さい要求金額と、ユーゴスラビア人と自称した意味が謎でした。値下げしたのにはちょっと笑けました。
※4 比較的落ち着いて対応できたと思います。相手にもよると思いますがこういう場合には、毅然とした態度が重要と思いました。
※5 後日談ですが、有料チャンネルでウィーン警察をモデルにした連続テレビ・ドラマを一時期楽しく視聴していました。シェパードの警察犬もレギュラーで出ていて、安全な都市は優秀な警察あればこそと思いました。
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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