1993年のオーストリア・モーツァルト №63〈ウィーン №15〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №15(シェーンブルン宮殿コンサートはどうなった)
1993(平成5)年7月20日(火)夜
ホテルに戻って着替えをして、シェーンブルン宮殿で開かれるレクイエム・コンサートへ出掛けた。(※1)
地下鉄の駅を降りて宮殿に入ったが、もう周りが暗いのと中が広すぎるのとでまた迷子になりそうだったので早速守衛さんに道を聞いた。
それで分かって、ちゃんと着いたが、肝心のコンサートは雨で中止になっていた。グシュン。泣きたくなった。野外コンサートとは知らなかった。(※2)
ぼくの同類が何人もいてみな残念そうだった。市街の繁華街へ戻って夜のウィーンの街を行ったり来たりした。(※3)
こちらに来てずいぶん歩いたものだ。もうホテルへ戻ろう。戻ってゆったりした風呂に入って、冷蔵庫の酒を飲んだ。荷物を詰め直して眠りについた。さあ、明日が最後の一日だ。(※4)
――つづく――
※1 ウィーン滞在も2日目になって、公共交通機関の乗り降りにも習熟できていましたので、シェーンブルン宮殿へいくこと自体問題はありませんでした。
※2 宮殿内の屋内のコンサートだと思っていました。行ってみたら野外コンサートとわかり、中止もやむを得ないと納得しましたが……。ウィーンでの唯一のコンサートが聞けないのは残念に思いました。
※3 今ならスマホがあって、情報の取得もタイムリーにできるのですが、当時はまだそこまで進んではいませんでした。
※4 当初の計画では、ドナウ1泊をはさんでウィーンに3泊する予定だったのです。それが半減でウィーン観光が駆け足になってずいぶん見どころを落としたと思います。その分ザルツブルクやザルツカンマーグートを堪能できたのでやむを得ないです。
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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