能、のう、ノー!、NOH?『隅田川』と「親子」
と き:室町の世(よ)
ところ:京のみやこ
ひ と:世阿弥(ぜあみ:父)、元雅(もとまさ:子)
Z「戻ったか、元雅よ」
M「いま、摂津の国から戻りました」
Z「さっそくやけどな、はなし、ええか」
M「新曲のこと……どすか」
Z「そうや。察しがええのう」
M「洒落ですかいな。〈能〉と〈のう〉を掛けて」
Z「おお、ノー!って、、、わしはあほかいNOH?」
M「あほちゃいまんねん、ぱーでんねん」
Z「それ、おまえが考えたんか」
M「いえ、吉本興業座のギャグっちゅうやつだす。いま摂津の国ではやってまんのや」
Z「いや、そないなことはどうでもええんどす。お前の新曲『隅田川』のことやないか」
M「へえ」
Z「人買いにさらわれたわが子を京から武蔵の国まで探しに行くやろ、母親がな」
M「そうどす」
Z「ところが、ひととせ前に子は亡くなって、、、つらい話や」
M「親子の情(じょう)の在りようを書きたかったんどす」
Z「わかるで、よおぅなぁ。で、墓から子が出てくるやおまへんか」
M「あっこは、苦心しましたんや」
Z「けどな、わしは子供は出さんほうがよろし思いまんのや」
M「わたしは子供なしでは演じられまへんのどす。しかし、御師匠さまがそう言わはる、と思うて、〈ゆうちゅうぶ〉に別ばあじょんをアップしときました」
Z「OH、そうか!見せて見せて。……なるほどな。子供の声だけな」
M「もう一つありますのや」
Z「フム、こんどは、姿も声もなしか!これどす。〈幽玄〉とはこれどすがな!」
M「けど、、、わたしはわたし流にやりとおますのや。母には確かに子の姿が見えた。それをお客様にも見ていただきたい、との思いどす」
Z「わかった。お前はお前の流儀、わしはわしの流儀や。おたがい好きにやろやないか」
M「御師匠さま、いや親父殿、まことにありがたき幸せに存じます」
-世阿弥と元雅、いい親子関係ですね。能の名曲『隅田川』には、子役の演出が上のように三通りあるということです。私は実際の舞台鑑賞はしておらず、テレビでしか見ていませんが、それは元雅流の演出でした。世阿弥の伝書『申楽談義(さるがくだんぎ)』には何百年も前の二人の当時のやり取りの記述が残っているそうです。素晴らしい。そこへ、私が勝手にアレコレ膨らませて書いた次第です。京ことばなど変なところはお許しください-
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