1993年のオーストリア・モーツァルト №59〈ウィーン №11〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ウィーン♪ №11(ホテル・アストリアにチェックインする)
1993(平成5)年7月20日(火)午前
雨の中を、ホテル・アストリアを目指して歩きだした。ローテントゥルム通りをオペラ座の方へ行くと、やがて聖シュテファン寺院が圧倒的な迫力で姿を見せてくれた。(※1)
日本の高層ビルの方が高さはあるだろうけれども、先端に行くにつれて細くなっている分高さを感じるのだろう。(※2)
ホテルはそこから近くてすぐに分かった。エントランスの係の人が僕の荷物を手伝おうかといってくれたが、けちなぼくはチップのことを考えて「ノー・サンキュー」とことわった。(※3)
フロントでチェックインの手続きをした。応対も感じがよい。朝10時半だが、もう部屋へ入れそうだ。229号室へさっきのボーイさんが案内してくれた。(※4)
たしかに部屋も立派なものだ。最初にここに泊まっていたら、いままでの部屋はおもちゃに見えただろう、といっては言いすぎか。部屋の説明のあと、帰ろうとする彼を呼び止めて10シリングをあげた。(※5)
――つづく――
※1 小包を送る作業も何とか完了して、いよいよウィーン観光ですが、まずはホテルにチェックインして荷物をあずけ身軽になろうと思いました。
※2 シュテファン寺院の尖塔はウィーンのシンボルで市内のあちこちから目にはいりました。モーツァルトと妻コンスタンツェとの結婚式と、葬儀もここで行われました。
※3 大聖堂からはケルントナー通りを傘をさしながら南へ歩きました。おおきなホテルですぐ見つかりました。
※4 けっきょく同じボーイさんのお世話になりました。
※5 部屋はたしかに立派なもので、旅の最後を飾るにふさわしいものでした。ウィーンに来た実感がジワリと湧いてきました。
※標題画像はウィーンの周回道路、リンクを走る路面電車です。
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