1993年のオーストリア・モーツァルト №47〈ザルツカンマーグート №20〉
1993年7月、転職のはざまに2週間の自由(失業)期間ができて、これはチャンス。リュックを背負ったエコノミーな個人旅行で、憧れのオーストリアへ行きました。
今年はちょうど30周年、当時はスマホはもちろんなく、携帯電話すら一般にはまだ普及していなかった時代。世の中随分変わりましたね。
旅行中の日記がこの『旅日記』の元ネタです。写真も交えて旅のあれこれを思い返しながらつづっていきます。そんな、よしなしごとにお付き合いいただければ幸いです。
ザルツカンマーグート♪ №20(バスでザルツブルクへ、少女との会話)
1993(平成5)年7月19日(月)午前
ここは張り切りどころと、腹に決めて、でも脅かしてもいけないと笑顔をまず作ってから「旅行ですか」と彼女に英語で聞いた。でも英語はできないとのことだった。(※1)
そこで、日本から持ってきた絵はがきをカバンから出して2枚(日本の絵地図と文楽の娘人形)あげた。ドイツ語会話本も出して、そこの文例を指さして何とか会話らしいことができた。(※2)
「貴方の職業は何ですか?」という文章を僕が指さすと、笑って「シュラーレン」と彼女が答えた。たぶん女生徒の意味だろう。(※3)
ぼくの職業を彼女が聞き返すので、失業中ですと答えるのも気が悪いから、会話集にあった「会計事務員」をさしたら彼女はうなずいた。(※4)
さっき彼女にあげた、絵はがきに描いてある富士山の説明をしようと、会話集の「富士山は日本で一番高い山です」を示した。文楽が日本の伝統芸能だということも教えてあげた。(※5)
――つづく――
※1 たぶん彼女はまだ英語を習う学齢ではなかったのだと思いますが、身長もあり、大人びた雰囲気だったのです。私の印象では実年齢よりも上に見えたのでしょう。
※2 大げさに言えば、国際親善のために絵はがきや、折り紙などをカバンに入れていました。相手が大人だったら、ものを渡そうとすると金員をせびられると警戒するかもしれませんが、彼女は素直に受け取ってくれました。それが嬉しかったです。
※3 この旅行では、いままでは大体簡単な英語でやり取りしてきたので、ドイツ語の会話本はこのときに初めて活用しました。
※4 まあ、失業中がわるいことではないけれども、相手が警戒するかもしれませんしね。次の職場も決まっていたので、ふつうに「会計事務員」と伝えたわけです。
※5 彼女は日本に興味を持ってくれたでしょうか。それはわかりませんが、彼女がその後親や友達と絵葉書を見ながら、富士山のことや、文楽の人形や着物について話したりしている様子を想像しました。
※標題画像は、湖畔の街ハルシュタットです。
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