60年代、流行った洋楽。10〈ミーナ・マッツィーニ〉
『70年代、流行った洋楽』の60年代版です。
60年代の初頭は、私自身がまだ少年時代。音楽に目覚める以前のことでした。そのうち、ラジオのAM放送やテレビなどから流れる音楽に意識が向くようになりました。そんななか、記憶に残る曲にもめぐり逢いました。今、あらためてYou Tubeで聴くと思い出がよみがえるだけでなく、半世紀よりもさらに前の曲とは思えない新鮮さと輝きにおどろきます。
60年代にはこんなことがありました。
イタリアの女性歌手のなかでも、ミーナは一目見たら忘れられない独特の雰囲気があります。
何とも言えない魅力。美魔女であって、モナ・リザのようでもある。メーク、ファッション、風貌すべてが個性的な彼女だけの世界があります。もちろん歌唱力は折り紙付きですね。
砂に消えた涙/ミーナ
Un Buco Nella Sabbia/Mina(1964年)
東京オリンピックと同じ1964年リリースのヒット曲です。
イタリア語「Un Buco Nella Sabbia」を翻訳サイトで調べたら「砂の穴」と出ました。
ある時のサンレモ音楽祭で、ライバルのミルバが優勝して以来、ミーナは大会に出なくなったという逸話があるそうです。負けじ魂、ライバル意識のほどがうかがえます。
でも、二人は持ち味も違うし、大会には積極的に出て次のチャンスに賭ければよかったのに、というのはしろうとの勝手な見方でしょうか。
で、この曲、日本人によるカバーも盛んにおこなわれていました。
砂に消えた涙/弘田三枝子
この曲名を聴くと、日本語の歌詞が浮かびます。全部は歌えませんがところどころは。その頭の中の記憶の声が、ミーナのものなのか、弘田三枝子さんのものなのか定かではありません。それはそれとして、弘田三枝子さんもすごい歌唱力ですね。今聞いてあらためてそう思います。
ミーナさんの歌唱で、私の最も印象に残っているのはずばり、この曲『月影のナポリ』です。
月影のナポリ/ミーナ
Tintarella Di Luna/Mina(1960年)
これも上の曲と同じです。頭の中の記憶の声が、ミーナのものなのか、森山加代子のものなのか定かではありません。
月影のナポリ/森山加代子
Tsukikage no Napoli "Tintarella Di Luna”/Kayoko Moriyama 1970年Ver.
森山加代子、以前もご紹介しましたがお上手ですね。歌手だから当たり前といえばいえるのでしょうが、いまあらためて聞いても唸ってしまいます。
曲作りから言っても、原語から日本語への置換えで済まさずに、中間部でのJAZZYな雰囲気の編曲など聞かせどころがありますね。
以前の記事とかぶりますが、名曲と思うのでもう一度ご紹介しましょう。『太陽はひとりぼっち』、ミーナの歌唱が素晴らしいです。
主演のアラン・ドロンとモニカ・ヴィッティもかっこいいです。
太陽はひとりぼっち / ミーナ
L'eclisse / Mina(1962年)
これも日本人のカバーを聴きましょう。この年代は日本人が洋楽を良くカバーしていますね。いまあらためてそう思います。それに、歌唱力がおしなべて高レベルで、完璧に自分の歌にしています。
太陽はひとりぼっち/園まり(1962年)
園まり、美しくてフェミニンで随分な人気だったことを覚えています。声にもウェッティーな甘味があっていい感じです。
中尾ミエ、伊東ゆかりそして、園まりが「スパーク三人娘」と呼ばれて当時人気だったのですね。
洋楽が日本語でみじかに聞ける素敵な時代にすごせて良かったです。
60年代後半から、いわゆる純国産の歌謡曲が盛んになってきたことは喜ばしいことでしょう。ただ、洋楽のカバーというジャンルが下火になっていき、楽しい洋楽が少し遠のいていった感があって寂しい気もします。
でも、洋楽のカバーということが一時期でも盛んであったがために、歌手はもちろん、私たち聞き手にも、音楽の楽しみかたやリズム感覚などがはぐくまれたことは間違いないと思います。
最近のミーナのアルバムから一曲どうぞ。
Troppe Note Il nuovo singolo di MAEBA/MINA(2018年)
ミーナ、いまも毎年のようにアルバムを出して活躍されているようです。2018年、78歳でリリースしたアルバム「MAEBA」の一曲「Troppe Note」。このイタリア語は、翻訳サイトで「多すぎるメモ」または「ノートが多すぎる」などと出ました。
「note」にちなんでご紹介しますが、ヴィジュアルといい歌唱といい、ミーナさんの世界はいまも濃い~ぃことが分かりました。
※素晴木あい さんの画像をお借りしました。