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異次元の扉としての「ワインとそれをめぐる記憶」 序章:ル・トリアノンの扉を叩く
ワインとは、液体に秘められた記憶であり、芳香の中に宇宙が凝縮されている。
その一滴は、無限の過去を宿し、風土と歳月の交歓を声なき詩として語るものである。
口に含めば、その波動は時を超え、私を未だ訪れぬ未来と過ぎ去った日々の交点へ導く。
記憶とは微かに揺れる光の如し、ワインはその光を映す鏡。
幾多の瞬間を閉じ込めたその紅は、静寂のうちに芳香を震わせ、味覚をもって我らを異次元の扉へと誘うのである。
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時を超えた囁き
100年の時を経た古酒がさらに300年の歴史を刻むグラスに注がれる。
その瞬間、時の記憶が呼吸し無限の静寂の中に響く微かな囁きが聴こえる。
一滴はかつて輝き、消えていった太陽を、そのグラスはかつて触れた唇と歌った言葉を思い起こさせる。
味覚の一瞬が、過去と未来の狭間に生きる私を目覚めさせるのである。
この体験は詩であり、過去への旅への始まりである。
古酒と古きグラス、その二つが織り成す交響は、物質を超えた精神の遊戯であり、我らを果てしなき思索の旅へと誘う異次元の扉なのだ。
初めて開かれた扉『13歳のル・シャンベルタン』
それは新たなる扉が開かれた瞬間であった。
それまでのワインは、藁づとに包まれたキアンティや、軽やかなヤーゴのサングリアにすぎなかった。
それらは単なる甘美な囁きに過ぎず、心の奥底に刻まれることはなかった。
1972年、高輪プリンスホテルの『ル・トリアノン』にて、叔母に連れられて踏み入れたその世界は、未だ見ぬ風景であった。
支配人、中里氏が手ずから注いだシェリー『ティオペペ』の輝く一滴。
その香りはコンソメの澄んだ味わいと共鳴し、瞬間は永遠の音楽となった。
私はその時、味覚という感覚を超え時空を超える旅をしていたのだ。
ティオペペの辛口の響きは、未だ知らぬ世界の扉を押し開け、私をその中へと誘い込んだ。
私の魂は、その一瞬の中で、初めて世界の深淵に触れたのである。
次に運ばれてきたのは『フレッシュフォアグラのブリオッシュ添え』であった。
芳香は瞬く間に私を包み込み、未知の感覚の境地を開いた。
支配人の説明によれば、そのフォアグラは缶詰などではなく、はるばるフランスより空輸されたものだと。
『他に空輸しているところは無いのではないか』という言葉に、私の胸は小さな驚きと共に納得の念を抱いた。
その時、重厚なグラスに注がれた赤ワインは、叔母が愛してやまない1960年代の『ル・シャンベルタン』であった。
力強さと濃厚な香り、そしてシャンベルタン特有の果実味に満ちたその味わいは、その頃の私に未知の官能を与えた。
フォアグラとの相性の完璧さに心を打たれ、『ワインとはこれほど美味しく、そしてフォアグラと合うものなのか』と感嘆したことを覚えている。
中里支配人から聞かされたナポレオンが愛したワインの物語や歴史を超えて語り継がれる逸話は、ワインが単なる飲み物以上のものであることを私に教えてくれた。
一杯のワインの味わいは過去と未来を結ぶ歌となり、記憶の深奥に刻まれた。
器と液体の交響
『ル・トリアノン』に通うたび、様々なドメーヌのル・シャンベルタンが私を迎えた。
ある日、1950年代のヴィンテージがグラスに注がれると、自分が生まれる前の年月を含む液体を眼前にして、私の心は特別な期待で踊った。
その日、支配人からワインがグラスの形状によってどのように姿を変えるかを教わった。
最も印象に残っているのは、金魚鉢のような大きなグラスに注がれたル・シャンベルタンを飲んだ瞬間だ。
そのグラスの縁から立ち昇る香りは普段のそれとは異なり、濃厚で空間を満たし、まるでワイン自体が生きているかのようであった。
香りがもたらす豊かさに引き込まれ、その場の雰囲気が今でも鮮明に蘇ってくる。
テーブルの光と影、会話の響き、赤ワインの澄んだ深紅の色合い、弦楽の調べが微な波紋のように空間を包み込み、静かに時を超える感覚が生まれる。
その時に使用したグラスは、後に知ることとなるバカラの『ロマネコンティグラス』と似た形状と大きさであった。
だが当時、それが既に存在していたかは分からない。
器と液体が交わるその瞬間、ワインはその形を変え、私に新たな世界を見せてくれた。
少年期の体験を経て、私のワインテイストの基盤は静かに、しかし確かに形成された。その中心には常にブルゴーニュ、特にル・シャンベルタンが輝いていた。
白は『シャブリ』、そして『サンセール』、ロゼは『タベル』が静かな定番として存在していた。
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食の芸術『魂を揺さぶる一皿』
高輪プリンスホテルの『ル・トリアノン』で味わったクラシックなフレンチ。
グランシェフ、アンドレ・ルネ・チェボー氏の料理は、ただの食ではなく、芸術の一端を垣間見せるものだった。
彼の一皿一皿は、言葉なき詩として私の感覚を揺るがし、永遠に続く記憶の中へと沈み込んだ。
私が今に至るまでクラシックなフレンチに心を寄せるのは、まさしくチェボー氏へのオマージュである。
銀座の路上で彼とその夫人に出会うたび、彼らの微笑みが私にフランスを運んでくるように感じた。
その瞬間、時の流れは止まり、その微笑みは時空を超え、香り立つ過去と交わるのであった。
独自の流儀とエレガンス『中里支配人の教え』
中里支配人から教わったテーブルマナーは、ただ形式に縛られるものではなく、私自身の心の中に独自の流儀を育んだ。
それは、ナフキンの使い方にさえ込められた深い意味、折り目とその向きが秘める象徴、そして一歩踏み出して自らのスタイルを見出す勇気であった。
伝統は重く、無言の教えであるが、その中に己の色を加えることこそ真のエレガンスであると悟ったのだ。
伝統と革新の狭間
『ル・トリアノン』に通い続け、時は箱根プリンスホテルの開業に至る。
その流れと共に刻んだ記憶は鮮やかに私の中に息づく。
一方で時が経つにつれ、ワインの味わいが次第にその力を失い、薄らいでいくのを感じた。
フランス料理が『ヌーベルキュイジーヌ』の新風に染まり、ワインの醸造もまた変化の波に乗ったのだろう。
伝統と革新、そのはざまで私が追い求めたのは、過去と現在を結ぶ架け橋であり、記憶の中に揺るぎない自分だけの味わいであった。
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ブルゴーニュの王 ― ボルドーの女王
ワインの味わいをある程度理解し始めた頃、私には一つの疑問が浮かんでいた。
なぜ『ブルゴーニュはワインの王様』であり、ボルドーは『ワインの女王』と称されるのか。
その理由を追い求める過程で、初めて口にしたブルゴーニュの赤が記憶の中に甦った。
あの頃のブルゴーニュは、風格と力強さに満ちていた。王としての威厳を纏い、深遠な味わいがまるで帝王の如く語りかけてきた。
それを思い返した瞬間、私は初めてその称号に納得したのだ。
『そういうことなのか!』と胸の奥で響いた理解は、時間を超えた学びだった。
だが、ボルドーがなぜ『女王』であるか、その真意を悟るまでにはさらなる年月が必要であった。
王と女王が持つ異なる美徳と、その優美さの対比に触れる日が来るまで、私はその問いを抱え続けた。
2025年1月7日加筆修正