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異次元の扉としての「ワインとそれをめぐる記憶」第1章:カナユニ

K A N A - U N I
since 1966

カクテルに魅了される
「スペインの冷たい情熱の赤」サングリア、B&B、マルガリータ

私が初めてカクテルに出合ったのは1970年代前半。
 
元赤坂にあった、かなりユニークなレストラン「カナユニ」でのことだった。
 
そこに足を踏み入れるたび、私の胸には一種の高揚と甘美な予感が広がった。
 
そこでの風が運ぶ甘やかな記憶と音楽の波動が空間を満たし、カクテルが夢の断片を輝かせていた。
 
「カナユニ」・・・それは私にとって「瞬間」と「永遠」が交錯する場所だった。

鍵の扉  -  彼方への入口
 
夜は静かだった。
 
東京の裏通り、どこにでもあるような薄暗い路地。
 
その一角に「カナユニ」は佇み、その扉は光と影の狭間に浮かび上がっていた。
 
鍵の形を象った看板が夜の静寂を裂き、その下にあるアーチ状の扉は、ただ静かに閉ざされていた。
 
扉を押し開けると、地下へと続く階段が長く伸び、その先から微かなジャズの響きが私を誘う。
 
足を踏み下ろすたびに感じる不思議な感覚。
 
それは舞い降りるがごとく感じる絨毯の厚み、降りるたびに、足元から現実の重みが消え、音楽のさざ波が私を迎え入れる。
 
ジャズの旋律が漂うその空間では、すべてが停止し、時間はその流れを忘れる。
 
そして階段を降り切ったその瞬間に広がる光景は、まるで夢が形を取ったようだった。
 
右手には光を帯びたグランドピアノ、左手のバーカウンターが曲線を描きながら視線を誘い、正面から見下ろすテーブル席には、まだ誰も知らぬ物語が宿っていた。
 
 
空間の音楽と“赤紅のバラ”
 
その空間には、南西ヨーロッパの香りを漂わせる白い壁がアーチを背景に、時代の痕跡を纏うかのように古色を帯びていた。
 
奥の壁は、釿で斫った焦茶の板張り。
 
テーブルに置かれた一輪“赤紅のバラ”とのコントラストが、私の視覚に一つの夢を刻みつけた。
 
その夢の中で、音楽、味覚、そして人々の言葉が互いに響き合い、日常とは異なる次元への扉を開いていた。


スペインの冷たい情熱の赤

 
私を最初に魅了したのは、冷たくも情熱的なサングリアだった。
 
背の高いピッチャーに装飾された果実の断片が、光を受けてまるで生命を帯びているかのように輝いて見えたのを、私は今でも鮮明に覚えている。
 
その輝く光景は、ありふれた飲み物を詩的な境地へと押し上げる力を秘めていた。
 
それは私がこれまで飲んでいた三角瓶に入ったヤーゴのサングリアとは異なり、手作りの美であり、私の心を満たす未知の味わいであった。
 
これをきっかけに私はカナユニへしばしば通うようになり、何時も叔母とそこで過ごす時間を楽しみにしていた。    
                                               

中央は南青山のお店で使用しているもの 両サイドは元赤坂時代に使用
70年代初期は背の高いピッチャーを使用


パリの風  -  キール

 
ある時、フランスからの一本の国際電話が、カナユニに新たな流行の飲み物「キール」と「キール・ロワイヤル」のレシピをもたらした。
 
キールが登場し、パリの風がその一杯に吹き込まれた時、私は初めてカクテルが単なる飲み物以上の存在であることを悟った。
 
私はそれを飲みながら初めて異国の風を感じた。
 
クレーム・ド・カシスの深い赤が、白ワインの中に静かに広がる。
 
その様子を見ていると、まるで夕暮れの空が茜色に染まるかのようだった。
 
それは一つの物語であり、異国へと誘う扉であった。

このクレーム・ド・カシスをシャンパーニュで割った「キール・ロワイヤル」は
いまなお私が愛してやまないアペリティフである


空間を形作る音楽と人々

 
カナユニの魅力は、味覚や視覚の印象だけに留まらず、それらが店全体の空間と見事に調和している点にあった。
 
店内の雰囲気は、言葉では表現しきれない特別なもので、訪れる者を独自の世界へと誘う。
 
テーブル席での横田京子ママの独特で心に響く語りは、今もなお深い郷愁を誘い、数々の思い出を呼び覚ます。
 
そこでは、赤松さんの絶大なる声量と響き渡る高音域に包まれながら、カンツォーネやラテン音楽のギター弾き語りを聴くことができる。
 
その演奏は、聴く者の周囲の空気を一変させ、まるで他の世界へと誘うかのような波動を放っていた。
 
その音楽が響く中で飲む「マルガリータ」は、私にとってただの飲み物ではなく、空間そのものを味わう一部分だった。
 
また「根市タカオカルテット」ベーシストの根市さんとジャズの名プレイヤー達による「Red Roses for a Blue Lady」の生演奏。
 
それらが織りなす旋律が空間を満たし、まるで映画の一場面の中にいるような感覚を私に与えてくれた。
 
その音楽と共に飲む「B&B」や「スティンガー」は、ただの飲み物ではなく、空間との調和そのものだった。


クレープシュゼット -  炎の儀式
 
そして忘れられないのは、フロアマネージャーの浅見さんが披露してくれた『クレープシュゼット』の華麗な手さばきだった。
 
シュゼットパンの中でカラメルとグラン・マルニエが燃え上がる光景、その香りが店内に満ちる瞬間は、まるで魔法の儀式を目の当たりにしているかのようだった。
 
クライマックスに幻想的な蒼白い炎が螺旋を描きながらオレンジの皮を舞降りる様は、火が放つ幻想的な雰囲気とともに、その消える瞬間が何よりも美しい。
 
炎が消えた後に残ったのは、ただの静けさである。しかし、その静けさの中に、私は永遠を感じていた。

南青山カナユニ 目にも留まらぬ手捌きは横田誠さん


大人の世界へ

 
私は叔母とテーブル席に座る事が多かったが、そこから見上げるバーカウンターの人々の姿は、どこか近寄り難い「大人の世界」の魅力があった。

懐かしいマッチと灰皿

たまにバーカウンターに座ると、オーナーの宏さんが色々な話をしてくれた。
 
宏さんのタキシード姿は、私にジェントルマンという言葉の意味を教えてくれた。
 
彼が語ってくれたワインレッドのスタッドボタンと裏地の色合わせの話。
 
それは、何気ない仕草に宿る優雅さと、自己表現の真髄を示していた。
 
その日の宏さんの袖口から覗く裏地は深いワインレッドで、その渋さと華やかさが私の心をつかんだことを今でも覚えている。

「カナユニ」でのカクテル体験は、単なる味わいを超え、視覚、感覚、そして文化が織り成す壮麗な交響であった。

バーテンダーの武居さんの手によって生まれる一杯一杯が、時を止め、空間を彩り、そして記憶の奥底に永遠の輝きを宿らせたのである。

チャーミングな横田宏さん


比重の違いにより生まれる二層の美しさ

 
それは、光と影のように静かに共存する奇跡である。
 
叔母が愛したスティンガーやB&B。その一杯の中に沈みゆく深い琥珀のリキュール、ベネディクティンDOM。
 
その瓶はまるで時を封じ込めた彫刻のように佇み、その名は詩の一節のように響いた。
 
ベネディクティンは、16世紀のフランスにあるベネディクト派修道院で、修道士ドン・ヴェネディクトが多種多様なハーブや植物を調合し、薬効性のあるリキュールとして生み出したものだと云われている。

B&Bは、リキュールグラスにベネディクティンを注ぎ、マドラーを浮かせた状態でブランデーを注ぐことで完成する。

すると、ベネディクティンの比重がブランデーよりも大きいため、グラスの中でブランデーが浮かび上がる。

二層に分かれた様は、なんとも美しい情景なのだ。
 
それはただの飲み物ではなく、視覚の楽しみも同時に与える芸術品のようである。
 
今でも懐かしくB&Bはフロートで注文する。
 
                                 
カクテルという芸術  -  塩の技巧  
                                 
私はもともとアルコールの分解能力が高いようで、「酔う」という感覚をほとんど知らず、さまざまなカクテルを試すことができた。

 中でも好きなカクテルは「マルガリータ」。                                                 
 
カクテルというものが単なる飲み物を超えた芸術であると気づいたのは、武居さんの作るマルガリータがきっかけだった。
 
紙に塩を振り、その上に冷えたグラスを伏せながら回転させ、グラスの縁に均等に塩を付着させる技は芸術的な美しさであった。
 
その塩が、ライムの酸味とテキーラの強さを引き立て、絶妙なバランスから何とも云えない上品な甘さを生み出していることに初めて気づいた瞬間、私の中で何かが目覚めたようだった。
 

シャトー・ディケムとの邂逅
 
ある時、品格を感じさせるようにロートアイアンで壁面配置されたワインが一本だけあるのに気がついた。
 
武居さんに質問したところ、「カナユニ」がオープンした頃、「お店の格になるようなワインを置いたほうが良い」という話になり、デザートワインの最高峰である「シャトー・ディケム1967年」を置いたとのことだった。
 
 
そのボトルは、まるで店の歴史と共に、ジャズの名プレイヤーの演奏や歌声を感じながら熟成しているかのようであった。
 
いつも何気なくこのボトルを眺めて感じていたのは、時代と共に黄金色から徐々に琥珀色に変わっていく様子、私は時間の神秘に思いを馳せていた。
 
ディケムの67が「グレートヴィンテージ」と呼ばれる特別な存在であることを知ったのは、ずっと後のことである。
 
そしてこのシャトー・ディケムが、後に私にとって「運命的なボトル」となることを、このときの私はまだ知らなかった。

Château d'Yquem 1967 参考画像

記憶の中に咲き続ける“赤紅のバラ”
 
「カナユニ」は単なるレストランではなく、私にとっては世界そのものだった。
 
音楽、カクテル、空間、そしてそこに集う人々が紡ぎだす物語は、一つの完全なる調和を形作り、私の感覚を磨き上げてくれた。
 
今この記憶を振り返る時、私はあの店が私に何を与え、何を語りかけていたのかをようやく理解する。
 
一時の体験は、空間とそれを彩る様々な要素の調和によって、永遠へとつながっていく。

それは決して過去の断片として消え去ることなく、むしろ時を超えて輝きを増しながら、私の中で生き続ける。

まるで記憶という時間軸の中に、色あせることなく咲き続ける、香り高い一輪の“赤紅のバラ”のように。

そして、その薔薇の芳香は、ふとした瞬間に蘇り、私をあの調和の世界へと誘い続けるのである。
 
 
レストラン カナユニ


 
住所:東京都港区南青山4-1-15 アルテカベルテプラザB1F

電話:03-3404-4776
 
参照資料
2005〜Forever

2025年2月9日加筆修正


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