日記を「友達」と名付けた5年生の冬
図書館に通うことが、家族の2週間に一度の恒例行事でした。そして本を1人最大冊数まで借りることが決められていました(ただし、母のOKが出た本に限る)。そんな中、小学校5年生だった私は、アンネの日記を図書館で借りて読み、感化されて日記を始めました。
今でもその日記が手元に残っていて、表紙裏にはこんな言葉が書かれています。
そして、「あなたのことを友達と呼びます」と書いています。
小学校中学年頃から、私は母に本音が話せなくなっていました。母に話す学校での出来事はよかったことだけ。それも母の機嫌が良いときに話していました。母の考えに反することを伝えると、真っ向から否定されます。言葉や考えを否定されたとしても、人格を否定されたくらい落ち込みます。気付けば、いい反応が予想されることしか話さなくなりました。
5年生にもなると、友達同士の話題は、テレビや漫画、おしゃれや芸能人へと変わってきます。しかし私は母の教育ルールのもと、それらを楽しむことが許されませんでした。学校ではクラスメイトの話題についていけず、元の性格も相まって静かにしていました。「勉強ができる真面目な大人しい子」で通っていたと思います。
本当の私はおしゃべりだし、明るいし勉強だって言いつけを守ってやっているだけ。本当はみんなと同じ話題でわいわい楽しく話したかった。でもそんな本音を伝えると、「私を責めているの?」と不機嫌にさせてしまうから、母に話せませんでした。母は友達の間では「優しいお母さん」で通っていたから、友達や学校の先生にも話せませんでした。
「誰も私の気持ちをわかってくれない」。そう思ってどんどん暗くなっていきました。そもそも話していないのだから伝わっていないのは当たり前なのだけど。仲良くしてくれる優しい子はいても、お互いに「友達」ではないことは子供心ながらにわかっていました。私には、人間の友達がいませんでした。
母に本音が言えないのであれば、本音が話せる友達がほしい。だけど友達をつくることも難しい。子供の頃の私は、日記を「本音が伝えられる」(かつ否定されることがない)理想の友達として、日記に長いこと助けれられ来たんだなあと改めて思います。日記を書く、ということに出会えてよかった。本音の置き場を見つけられてよかった。よかったね、私。