母とわたしは違うのに。
母は、映画を子供に見せたがりませんでした。唯一映画を観れるのは、散髪をするときだけ。親に髪を切られるときに子供が動いてしまわないように、兄弟3人のヘアカットが終わるまでの時間だけ見せてもらえます。映画のチョイスはもちろん母。子供向けの映画であろうとも、希望は叶いません。
同じ市に住んでいた父方の祖父母が、私たち孫3人を映画に連れて行ってあげるという話がありました。母はよっぽどの理由がないと、義理の実家に子供を連れて行かなかったこともあり、祖父母からすると孫ともっと会いたかったのでしょう。
しかし母はNGを出しました。母がNGを出す理由として、子どもながらに考えられることは、「お金がかかる娯楽だから」「しかもそれを義理の実家にさせてしまうと申し訳がないから」「目が悪くなるから」といったところでしょうか。
大人になった今、私は映画を観ることが大好きです。父は、母が一人で買い物などに出掛けていて、父自身の機嫌がいいとその間私たち子供に内緒で映画をみせてくれました。「こんな世界があるんだ」と刺激的で、世界は広いんだなあと思いました。母が心配するように早熟になったり、暴力的になったりはしていなかったと思います(笑)
母自身、映画を観ることが好きではありませんでした。映画館は音も画面も大きくて頭が痛くなるそうです。でもそれって経験してみないとわからないし、母と私が必ずしも同じように感じるわけではないと思うのに。母は、どこか自分自身と子どもの感覚が同じだと思っていたように感じます。母と子どもは別の人格の人間なのに同じだと捉えてその堺がなくなっていたような気がします。
母はその人生分の経験の中で好きも嫌いもわかったかもしれないけれど、私たちは経験すらしていないから好きも嫌いもわかりません。何でも経験させればいいというわけじゃもちろんないけれど、端からNGを出すのは窮屈に感じてしまいます。
私自身、恋人や家族、夫など距離が近いひととは、自分と価値観や考えも近いように思ってしまいます。自分と同じじゃなきゃ嫌だとすら感じていました。実際、結婚していたときは私も母のようになっていたのかもしれません。相手は苦しいはずですよね。私は私、たとえ家族であれ、ひとはひと。これを忘れずにいたいと思います。