家族の好きな番組調べ
学校の社会科の授業の宿題で、「家族の好きな番組調べ」がありました。私が観るのを許されていたのは、「おじゃる丸」と「忍たま乱太郎」。たまに大河ドラマとNHKのニュース。クラスで発表できるわけがない、と思いました。クラスのみんなが観ているテレビ番組と全然違うことがわかっていたし、同時にうちの母の厳しいルールを公表することになるからです。
私がみんなが観ているテレビや流行りについて知らないことを知っているクラスの女の子たちが「どのテレビが好き~?」と聞いてきました。悪意を感じました。そこで涙目になった私にさらに「目になんか入ったでしょ?」と。それをみていた女の子に自分の家が厳しくてテレビをろくに見せてもらえないことを打ち明けると、その子は次の日までにクラスメイトに話して回っていました。
後日、宿題の発表は全員が黒板にテレビのタイトルを書く形で進められました。私は正直に、母の好きな韓国ドラマや、私と弟が観るのを唯一許されていて好きかどうかはわからない教育テレビの番組を書きました。みんなが書いているテレビ番組が全然わからないし、私が書いたテレビ番組をみて冷やかす声が聞こえるし、席に戻って人知れず泣きました。
この出来事は、母は知りません。私が話さなかったからです。母に話したところで、母は不機嫌になって私がさらに嫌な思いをすることが簡単に予想できました。嫌な思いをしたことで誰を責めればいいのかもわかりませんでした。先生の授業の進め方も、母が私に厳しいのも、クラスメイトが嫌なことをいうのも私のせいだと思うのが手っ取り早いと思いました。
この年の担任の先生は大人になった今思い出しても恐ろしい先生でした。母と同い年の女性の先生で、好き嫌いがはっきりしていてヒステリックに怒鳴るし、殴るし蹴る。機嫌がいいときと悪いときとで差があり、叱られる基準は先生の好き嫌いと気分という恐ろしい先生でした。私はその先生にはなぜか気に入られていましたが、恐ろしいことに先生と母は仲良しでした。母に話したことが先生が知っていたり、学校での出来事を話していないのに母に伝わっていたり。学校も家も気を抜けない場所でした。
正直、母が私たち子供の見るテレビを制限していたことによるメリットが分かりません。「テレビをみるとバカになる」と母はよく言っていました。「テレビをみると目が悪くなる」とも言っていましたが、弟は幼い頃から眼鏡をかけていました。「テレビをみると会話がなくなる」と言っていましたが、会話量は母の機嫌次第でした。「食事の時はテレビを付けない」ルールは、母の実家ではそうだったからという理由でした。それよりも、交渉の余地もないルールを一方的に押し付けられていたことによる弊害の方が明らかに大きかったと思います。
日記がなかったら、行き場のない不満は膨らんで膨らんで抑えきれなくなって大変なことになっていたでしょう。よくしんどい日々を耐え抜いた、私。