生野にて
7日夕方、大阪聖和キリスト教会にて行われた保育研究に参加した。
テーマは
「障害・自粛・分断-子供の権利が守られるとは-」
桜井智恵子(関西学院大学)が登壇し、大阪聖和保育園の先生たち、地域に住み子育てをする親御さんたち、計40人ほどに向けて話をした。
桜井教授はまず初めに「可哀想な象」の話から始めた。
「象たちは誰に殺されたんですか?」
当てたれた保育士は「政府」と答えた。
私も口にはしなかったが、国かなと思った。
答えは、当時の東京都知事に当たる人物。
第二次世界大戦の真っ最中ではあったが、実際のところ象を殺す必要はなかったが、当時の東京都知事は一つのパフォーマンスとして、象という大きな動物を殺して人々に危機感を持たせたのだという。
これを聞いて、現在のコロナ禍でも同じようなことが起きていないだろうか。
東京アラートの発令や感染者数の発表、最近で言えば吉村のうがい薬、、。
目に見える数字や派手なパフォーマンスに踊らされてはいけない。政治家は根拠のない発言で注目を集めようとする傾向があることはわかっている。
自分で考えて、行動するべきでないか。
さて、研究会の話に戻る。
今回の講義でのキーワードは
構造的暴力
どういう意味か。
例えば、学校現場で学力競争が起こっている。
子たちはテストでいい点を取るために、いい高校や大学に進学するために、そして将来稼げる大人になるために勉強させられている。
これこそ構造的暴力なのである。
子どもにとって大切なのは、果たしてテストでいい点を取ることだけなのか。
友達と触れ合って、たまには悪ふざけをして、公園や田んぼで遊んで、そういった遊びからも学ぶものがあると思う。
そうであるはずなのに、今の子どもはその学習という圧力に押しつぶされそうになっている。
写真は警察庁が発表している年齢別自殺志望者数である。
全体的に数は減っているが、10〜19歳の赤い線だけ右肩上がりであることがわかる。
香港の学生は政府に攻撃はするが、自殺はしない。
日本の学生は政府に攻撃しないが、自殺する。
そういった見えない暴力に子どもたちは直面しているのだ。
このコロナ禍で経済格差がより広がり、またオンラインでの保育制度なども出てきた。
子どもたちが何も言えないことをいいことに
政府が管理しやすいように操作していく。
そんな国であっていいのだろうか。
子どもの正しい褒め方は
「テストの点、今回は10点もあがったね!」
じゃなく、
「⚪︎⚪︎くん、おはよう!いい笑顔だね!」
でいいのだ。
下記は大阪聖和保育園のURL
大阪聖和保育園は、多種多様を認める子ども社会づくりを推進している保育園。
在日、障害者、もちろん日本人の子どもたちが年齢関係なく縦割りのホームで一緒になって過ごしている。
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