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いまあらためて、昭和天皇のAB型らしさを愛す。

何かと抑制される今日この頃、久しぶりに羽を伸ばせるゴールデンウイークになったでしょうか。(だといいのですが!)

今年のゴールデンウイークは、4月28日、みどりの日から始まりましたね。みどりの日は、昭和天皇のお誕生日でもありました。昭和が終わったのは33年前。昭和とともに昭和天皇の影も、だんだん薄れてゆくのでしょう。人々に忘れ去られてしまう前にと、昭和天皇について書いた記事を再編し、こちらに掲載したいと思いました。

『昭和天皇実録』より

昭和天皇がご崩御された後、昭和天皇の生涯を記録した『昭和天皇実録』の編修が、宮内庁によって行れていました。そして平成26年にようやく完成し、一般国民にも公開されるようになりました。

昭和天皇がお生まれになったのは、1901年のこと。(これはABO式血液型4型が、発見された年でもあります。)そのとき世界は、戦争という闇へつき進む最中。まさに、暗黒の時代を迎えるなかで、日本君主となるべく、宿命を背負って誕生したのが、裕仁親王でした。日本の、まさに大激動の時代を生き抜いた、代表的、歴史的人物と言えるのでしょう。

昭和天皇の血液型はAB型であったと、判明しております。

その頃の皇室の、しかも天皇陛下ともなると、その日常生活や素顔など、到底、一般庶民には知り得ないことでしたが、今回の記録公開によって、いくばくかでも、その人間像が浮き彫りになるのではと、いささか楽しみであります。ここでは、新聞記事から入手した断片情報ではありますが、やはりところどころに、"AB型らしき"お姿を見ることができたので、いち早くご紹介したいと思います。

まず、わたしが真っ先に目に留まったのは、"居眠り"についてのエピソードです。ある時、軍部の暴走による事件が勃発し、まだ若く、正義感に溢れる昭和天皇が、その原因究明の為に、当時の首相を厳しく詰問したという出来事があったとのことです。そして…

「その後、御心労のため椅子にもたれて居眠り…」と、実録に記述されているのだそうです。

「やっぱり…わたしと同じAB型だわ」

わたしは、にわかに親近感さえ湧いてきました。体質的に頭の疲れやすいAB型は、ある一定以上の疲労やストレス、睡眠不足になると、とろこ構わず、まるでスイッチを切ったように、コテンと眠ってしまう癖があるのです。もちろん、誰しも疲れれば眠くなるものですが、あえてこうして、記述が残っているという事は、睡魔に勝てないご様子の一片を、ありありと物語っているのではないかと、推測できるのです。

また、2.26事件においては、側近たちの殺傷、特に、最も信頼を置いていた高橋是清の暗殺は、昭和天皇にとって、どれ程ショックが大きかったろうかと想像できます。それにも関わらず、昭和天皇は、怒りで感情を激することなどはなく、非常に冷静に対処されたと記録されているのだそうです。これもまた、AB型の特徴的な一面である、公の場での冷静さ、クールさを、感じずにはおれません。

死を淡々と受け止めるAB型性

そして終戦直後。マッカーサー元師との対面についても記述があるようです。今回の実録では、マッカーサー元帥の残した記録のみを採用しているようなので、このエピソードについては既に多くの人が知るところでしょう。(昭和天皇側の記述は、あっても公開しないということでしょうか。国民は、そこが知りたいですよねえ。)

まあ、わたし流に解釈するならば、マッカーサーにとっては、今さっきまでの最大の敵国君主。日本国民が”神”のように仰ぐ君主とは、いったいどんな人物なのかと、マッカーサーは、あれこれと想像を巡らせていたに違いありません。ところが、目の前に現れたのは、厳つさも強靭さも無く、カリスマ性さえも影を潜めているかの、まるで無防備で、ひょうひょうとした、小さな男。

「私が、全責任を負うもので、私を委ねに来た」

直立不動のまま、そう申し述べる昭和天皇の姿は、何の駆け引きもしようとしない、素朴な紳士であった。そのような昭和天皇の清らかさは、征服者マッカーサーの強腰をくだき、好印象すら与えてしまいます。

しばしば伝えられてきた、このお話しは、血液型うんぬんに関係なく、昭和天皇ご自身の、ご人徳に他ならないと思います。しかしそれが大半の理由だとして、敢えて血液型視点で述べるなら…、いざ己の命を奪われるかもしれぬという時に、それほど特別な精神力を働かせなくとも、意外に死を淡々と受け入れるのは、AB型の特性でもあるのです。

国のため、国民のためを常にお考えになり、生まれながらにして、我々とは別格の環境で生きてこられたお方。その上で、更にAB型の根底にある、平和精神と合理性、物事に対する淡白さが、如実に表出されたエピソードではなかろうか、と思います。

昭和天皇の素顔

そういえば…と、思い出したことがあります。おそらく今回の実録には、どこを探しても決して載ってはいないでしょうが…、以前、昭和天皇の側近から伝わったとされる、微笑ましいこぼれ話を聞いたことがありました。

そのお話しによると、昭和天皇には、少々苦笑いするような癖があったのだとか。例えば、お風呂に入る時、上着やズボン、靴下などを、脱ぎ散らかしながら風呂場まで向かうのだそうです。昭和天皇の入った後の浴室は、石鹸やら、タオルやらが、あちこちに大散乱していたのだとか。

これを聞いた時、わたしたちは、クスクスと笑ってしまいました。過去に何度か行った、園児たちの実験でも、洗濯ごっこで後片付けをまるでしなかったのは、たしか、AB型の子どもたちだったのです。AB型の子は、まだしつけが行き届かない幼い頃など、なぜか後始末が苦手な子が目立つのです。大人になるにつれ、多くは改善されるのですが、それでも多かれ少なかれ、ふとしたところに、そのクセは垣間見られます。

小さな少年の頃から、公務に追われる日々の中、自分らしさを見せる場など、皆無に等しかったであろう昭和天皇。そんな昭和天皇が、子どもの頃のまま、その癖を残していたとは。どれだけの苦難と、苦渋の人生であったろうかと想像するなか、なんだか、ホッコリするお話しではありませんか。

こうして血液型メガネを通してみると、まったく異なる視点で、昭和天皇を語ることになります。少々、不敬ともいわれてしまいそうですが、たとえ天皇であろうとも、人間という肉体を持つ以上、ABO血液型から逃れることは、できないというのも事実なのであります。そして、今生を真に生き抜いた人物ほど、血液型らしさが色濃く出るというのも、不思議な事実なのであります。己を生きるほど、真の性質が研ぎ澄まされるのかもしれません。


余談になりますが、最近、昭和天皇の血液型が、AB型(Rh-)であったという情報を得ました。Rhタイプについては、当研究所ではまだ調査しきれておりません。Rh-は、日本人では2%程度と、とても少ないのがその理由にあるのですが、欧米諸国には20%ほどもいます。そのせいか、欧米人に血液型を訪ねると、「わたしは、”OタイプのRhプラス”です」という答え方の人が多いのです。

また、よろしければ、こちらも。


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