バルガス・リョサ「継母礼讃」
バルガス・リョサ。2010年、ノーベル文学賞を受賞した、ラテンアメリカの作家。
しかし、少しでもラテンアメリカ小説を愛する人々には、ガルシア・マルケスの名の方が知られているだろう。
大胆不敵な想像力(私は「族長の秋」の、大統領が海をまるごと売っぱらうシーンが好きである)、健康的なエロティシズムを持った、「わが悲しき娼婦たちの思い出」も忘れがたい。
日本の作家でも、村上春樹「街とその不確かな壁」で「コレラの時代の愛」が引用されている。また、大江健三郎の「同時代ゲーム」は「百年の孤独」を抜きには成立しなかっただろう。かと思えば、「大差に手紙は来ない」の「糞でも食うさ」のセリフのように(これは比喩や嫌味ではなく、本気で糞を食うつもりなのである)、不思議なユーモアがある。
ボルヘスも知られているだろう。短編が多く、読みやすい、といえば読みやすい(実はめちゃくちゃな右翼だが、それはあまり知られていない)。
ところが、バルガス・リョサは今ひとつ認知度がない。
一つに、作品が大部であるというのがあり、もう一つに、彼の作品にマルケスやボルヘスの瞬間風速的な驚きが(それほどには)確認できないことにある。
えー、それで、(未だ確認できない)読者の中に、もしかしたら、「ノーベル文学賞を読みたい、でもどれを?」と悩んでいる人々がいるのではないかと思う。
例えばトニ・モリスンはちょっと重たい。大江健三郎はどれから読めばいいのか?(一応「新しい人よ目覚めよ」か「静かな生活」をおすすめする)川端康成は古臭い……。
結論は、無理に読む必要はない。ドストエフスキーもディケンズも別にもらっていないのだから。
長話で申し訳ない。私も「ノーベル文学賞」の響きに酔っ払い、読めない本を借り続け、無益な苦しみを味わったのだ。アリス・マンロー、クッツェー、莫言。一応読んだ、が、頭には入らなかった。何一つ。だから読者諸氏は、心から読みたい本を読めばいい。本当に。身も蓋もないが。
そう、バルガス・リョサの「継母礼賛」の話だ。
ページは201ページ。
表紙はやけに赤みがかった背景から、一人の女がこちらを覗いているだけ。あまり魅力はない。
話の中身は単純。息子アリュフォンシートが継母、ルクレシアを誘惑する。それだけの話。
それで、残念なことに、それほどエロくはない。継母、といえばまあフランス書院の御用達なのだが、そう。
ラテンアメリカ小説のエロというのは、なんというか、元気が良すぎる。もうちょっと隠してほしいのだ。あんまり生命力に満ち溢れすぎている。ルネサンスの、大理石の彫像的というか、肉体美?の方向に行くと言うか……。
ルクレシアも、なんか割と楽しそうだし、寝取られ男リゴベルトと3人、くんずほぐれつやったら?くらいに思えてきてしまう。谷崎潤一郎の小説にありそうだし、谷崎はちゃんと、エロい。
(余談。そう、エロティシズムとは隠されることでその真価を発揮する。「春琴抄」の春琴の盲目、「鍵」の、盗み読まれる日記。エロティシズムとは隠蔽と、その暴露によって発動するのだ、とバタイユか誰かが言っていた)
だからこの小説は意識としてはこう、少年ギャグマンガというか、「おっぱーい!!!」くらいのテンションで読むのがいい。真面目に読む本ではない。
ただ、一つ忘れ得ない話がある。寝取られ男、リゴベルトについて。
彼は健康マニアなのだが、作中、東南アジア(かな?)の健康法に惹かれる。どんなものか。
なんと、縄を一本まるごと飲み込むのである。それがどう健康と関係するのか?
縄の切れ目が体内の老廃物をこそぎとり、体外に出してくれる、のだそうだ。
いったい、作者の想像なのか。私は本編よりも、この縄の話が記憶に残った。というか、本編忘れちまったよ、馬鹿すぎる。
ということで、ノーベル文学賞の作家も、難しいものだけ書いているわけではないのだ。ちょっと面白そうだなって思ってくれたら幸い。
最後に。続編がある。「官能の夢 ドン・リゴベルトの手帳」。ページにして349ページ。もしよければ、誰でもいい、感想を聞かせてほしい。私はもう嫌である。
他のnoteを見ると画像を付けたり、実に読みやすい。この文字ばかりの読みづらい本文を読んでくれてどうもありがとう。