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江戸川乱歩「月と手袋」

江戸川乱歩「月と手袋」は戦後に書かれた明智小五郎ものの一編。
で、読んだことのある方ならわかると思うが、まあ褒められない作である。

話としてはこんなもの。(ただし本編の順で話すとミステリーにならないので順番を変える)
ドストエフスキー「罪と罰」さながらろくでなしの高利貸し股野十郎が何者かに首を絞められ殺された。第一発見者はシナリオ・ライターの北村克彦。この二人は元少女歌劇女優の夕空あけみを巡って因縁があった。ま、要は三角関係である。
しかし、北村が警官とともに発見した際、股野はまさに首を絞められていたのである。この北村の鉄壁のアリバイは、さて、崩れるのか?あるいは、夕空あけみによる犯行か?しかし、彼女は事件中、手足を拘束されていたのだ。
(以下「月と手袋」「偉大なる夢」ネタバレあり)






でタネ明かしすると、かなり、というか死ぬほど無理がある。
まず本事件は北村とあけみの共犯である。
説明するのもアホらしいのだが、まず、北村が発見した首を絞められる股野は、実は変装した夕空あけみだったのである。
二人は箒型の洋服ブラシを一つまみずつに分けて軍手に押し込み、偽物の手を作ったのだった。
そして弱い月明かりの錯覚で二人は首を絞めつけられる股野を演出し、その後あけみは自分で手足を縛ったのである。
……というわけでタイトルが犯行に必須だった「月と手袋」なのだ。
ここからが酷く、せめて事件解決に明智小五郎の推理が光るかと思えば、最終的には北村とあけみの会話をマイクロフォンで盗聴して、話が終わる。
(それをやったらもう全部終わりだと筆者は思う)


では、なぜこんな見どころの欠片もない短編を扱ったかと言うと、筆者がこの作品が好きだからである。
何が好きかというと、まず、江戸川乱歩が新境地に挑戦していること。
明智小五郎ものは水戸黄門のように型が決まっていて、それは面白いが、次第にマンネリ化する。
本作で明智小五郎がほぼ出番無しなのは、江戸川乱歩が無意識にそのことを了解していたためでないだろうか。
本作の見所はむしろ、北村の犯罪心理にある。
彼は衝動的な犯罪の後は、ただ己の損得勘定だけに心を占められ、最後には疑心暗鬼に陥り、惨めに捕まる。
この弱い人間、北村の描き方が私は好きだ。

次に、この一節が好きだ。

どぶ川が月の光をうけて、キラキラと銀色に光っていた。海の底のような静けさだ。向うに立っている何かの木の丸い葉もチカチカと光っていた。こちら側の生垣のナツメの葉もチカチカと光っていた。
(なんて美しいんだろう。まるでお伽噺とぎばなしの国のようだ)
 こんなくだらない街角を、これほど美しく感じたのは、はじめての経験だった。
 彼は口笛を吹き出した。偽装のためではない。なぜか自然に、そういう気持になった。口笛の余韻が、月にかすむように、空へ消えて行った。

股野を絞め殺した北村の心理描写である。とても美しい描写だ。
ちょっとひけらかしのようでイヤだが、ある短歌を引き写して、も少し話させてほしい。

つきの光に花梨かりんが青く垂れてゐる。ずるいなあ先に時が満ちてて

歌人の岡井隆の短歌だ。句点までは情景の描写で、後半から心情に移行する。
別に難しい言葉はないが、読みにくい歌である。素人の筆者にはまして。
だから、あまり確証もなく話すが、この「ずるいなあ」という言葉は、圧倒的な現在―この歌だと「先に時が満ちてて」―に向けて、過去と未来を両脇に挟んで生きる此岸から、発せられた言葉ではないだろうか。
私たちは、完全な現在を生きられない。いや、確かに現在は今こうして瞬間ごとにあるが、それを取りこぼす、と言うべきかもしれない。
人間は、過去の後悔や未来への不安に、現在を侵され続け生きる。
それで構わない。そんな圧倒的な現在抜きでも、私たちは生きていける。
だが、月の光に青い花梨、あるいは、キラキラ銀色に光るドブ川、現在は人間を不意に襲う。過去と未来はギロチンにかけられ、今だけが燃え盛る。
孤立した現在はそして、少し死に似ている。
それは一種の啓示かもしれない。祝福でも、呪いでもあり、そして長くは続かない。
私たちは生きているのだから、現在は絶えず過去となり、未来は押し寄せ、三つ子の末のように今は押しつぶされる。
北村もこの後には、

(だが待てよ。もう一度検算して見なければ……) 克彦はたちまち現実に帰って、不安におののいた。

と、すぐ自分のアリバイ偽装に気を取られる。

人間は生きる。生き続けるため、過去と未来とをまさぐって、現在を忘れる。
その人間が、時に不意打ちにされる恐ろしく、美しい一瞬が、この短編には煌びやかに刻まれている。

それで筆者はこの短編が気に入っているのだ。
ただ、まともな探偵小説が読みたい人は「何者」とか「凶器」とか読んだほうがいい。

後、このトリックの一部は戦時中の作品の「偉大なる夢」から転用されている。
これは不自由なところの目立つ長編だが、それでもきちんと作品として成り立っている。乱歩はよく頑張ったと思う。


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