娯楽作品を情報量から読み解く―前書き―
本記事はこれから娯楽作品を情報から読み解く―タイトルまんまだ―シリーズを書くため、前書きとして書くが、沈むか浮くかはわからない。
娯楽作品は批評のまな板に上らず、読者もよく突き詰めずに、「面白い」「つまらない」と言いがちだ。
理由の一つに、定量的な評価が難しいことがある。
例えば文芸なら、遠藤周作なら信仰、村上春樹氏なら悪の問題を、それぞれどの程度深掘りしたかというような―いわば「パッと」評価しやすいポイントがある。
小説は生きた物語だからあまり褒められた話ではないが、文芸はテーマが明白なだけ、批評は楽と言えば楽だ。
そのため、今回娯楽作品を扱うに当たって筆者は個人的な基準を設けることに決めた。
そのキーワードが「情報」である。
……ここまで読んで、
「ああ、素人のわけわからん批評もどきか、やれやれ」
と思った方々、諦めないでほしい。筆者はこれでもそれなりの読書家である。
例えば以下のAとBの話のうち、どちらが面白いだろう。
A岬に立つ教会で祈りを捧げ続けた日本の聖女とし子の話。
B.岬に立つ教会で祈りを捧げ続けた日本の聖女と名高かった女性、恵子の死後、彼女がヤクザから多額の資金提供を受けていたことが発覚する。
だがこの話には裏があった。
実は、彼女の亡き夫がその岬から見える天然林を深く愛していた。ところがレジャー施設建設に伴い、その森の伐採が決まってしまう。
しかし建設前の土壇場になって土地が何者かによって買い取られ、建設計画は頓挫した。
その人物こそ恵子。恵子は自らの身を貶めてまで、夫の愛した景色を守り抜こうとしたのだ……
まあBである。わかりきっている。これでAと答えたあなたは教会で洗礼でも受けてきたらよろしい。
ではなぜBが面白いか。単純である。恵子の印象がコロコロ変わるからである。
すなわち、恵子は
1.純粋な聖女
2.ヤクザとわいせつな関係を持つ見返りに金を融通させていた悪女
3.身を貶めてもなお夫の愛した景色を守ろうとした健気な女
の、三つの女性像を渡り歩く(しかしひでえ筋だ)。
娯楽小説は、ヒューマンドラマ、ホラー、ミステリー、恋愛、SFなど多様なジャンルに分かれており、結果として統一された評価が難しい。
だが、筆者の方法ならこの問題を解消可能だ。
すなわち、面白い=「作中の情報量が多い」、つまらない=「作中の情報量が少ない」ことを意味する。
チェーホフは「小説に銃が出てきたら撃たねばならない」と述べたが、言い換えれば、
「小説に情報が出てきたら、その情報は最大限度活用されねばならない」のだ。
例えばここに、筋肉ムキムキのドウェイン・ジョンソンがいたとする。
その場合、筋肉ムキムキのドウェイン・ジョンソンはゴロゴロ食っちゃ寝するのでなく、世界を核で滅ぼそうと試みる悪の結社と闘いに興じたり、猫を怖がったり、毎日欠かさずベビーパウダーを使ったりしなければならない。
すなわち、情報(拳銃、小型核装置、美少女……)は、出てきた限りにおいてその情報量が最大限増幅されるよう―さながら株のように―運用されねばならない。
つまり(しつこいが)ベッドの下に蹴り飛ばした拳銃は後々になって主人公の窮地を救わねばならず、小型核装置は残りコンマ一秒で停止されねばならず、美少女は死なねばならない。
それが、娯楽作品におけるルール/マナーである。
すなわち、娯楽作品におけるテクニックとは「以下にして作品の情報量を増幅するか」の一点にかかっていると言って過言でない。
ということで、ここからは様々な娯楽作品が情報量を乾燥ワカメのように増やしていく一部始終を飽きるまで追っていく。