個人的な記録

この記事は私個人の必要で書くから、他の人が読んでもつまらないので読まなくていい。
また、かなり暴力的な話があるので、もし読むにせよ心に余裕のある方以外は読まない方がいい。
「見るなの禁」の心理は私にもわかるが、しつこいが、本当に読まないほうがいい。
警告である。
ただ、不特定の読者の目に触れる場所にどうしても書いておきたかった。同情の乞食になるかもしれないが。 










十代のころ、ぼんやりと人を殺したかったことを覚えている。
なんか「不幸な私のルポ・エッセイ」みたいになるからこの書き出しはイヤだが、しかし事実だった。
横断歩道の前で笑う女子高生を、トラックが来るタイミングで突き飛ばしたらどうなるだろうと考えたし、地下鉄を待つ間に、列の先頭の中年の女性を持ち上げ、自分も一緒にホームから落ちたら楽だと思った。

今思うと、「テメェ女しか狙わねえな」と言いたくなる。こういう人間は結局タンクトップ姿のマッチョな黒人は決して狙わないのだ。

ただ、とにかく世界に何か大きな真っ黒い穴を空けてみたかった。オウムサリン事件や9.11アメリカ同時多発テロのように、何か世界に消せない傷跡を遺し、多くの人間を不幸にしてみたかった。
それから、ずっと死にたかった。なんだか本当に「死にたがりの私が救われるまでの一年間〜希望と命〜」(三回泣ける)みたいな様相を呈してきて誠に遺憾だが、本当のことだから仕方ない。

視野の四隅が黒ずみ、ひどく息苦しかった。心臓の脈がいつも喉に直接伝わるような気持ち悪さがあった。
世界に奥行きがなかった。屏風のように、何もかもがのっぺりとして、その、のっぺりした空間に自分が覆い尽くされている感じがあった。
自分の頭や頬を殴る習慣がついた。そうすると気分が少し楽になった。
しかしリストカットのような派手なことはしなかった。怖いから。

食欲がなく、食べ物が粘土のように感じた。高校では授業中ずっと眠っていた。とても眠かった。
毎日、登校途中の横断歩道で大型トラックが突っ込んできて轢き殺されないか願っていた。
人の頭のなかを一つの黒板だとして、普通の思考を消せるチョークとする。
希死念慮は、黒板に油性ペンで「死にたい、死にたい、死にたい」と書き殴られるようなものだった。
私は「坊っちゃん」のように校舎の二階から飛び降りてみたが、背骨のごく一部と足を粉々にするだけで済んだ。
足には1年間金属プレートが入っていたので切開痕が残った。

被害者に見えると思うが、私は紛れもない加害者である。人に言えないような悪いことを何度か―臆病だからたくさんはしない―した。
何様気取りとは思うが、ずっと、なぜ人が悪を為すのか知りたかった。
なぜ、人間が暴力を振るうのか。ベビーカーを足で蹴る男。無差別で、不必要な暴力。

大岡昇平やティム・オブライエンの戦争小説には様々な人間の悪が描かれていたし、三島由紀夫の「金閣寺」のロマン的な悪は美しかった。 
大江健三郎や村上春樹は人間的なもの(ヒューマニズム)を使い、悪と対峙していた。

どれも私を満足させなかった。しょせん小説は小説に過ぎない。たかだか数百ページの言葉に、本当に人間を救う力などあるはずもない(今は少し違う考えを持っている)。

哲学、絵画、心理学、詩―人間の悪を説明するものが欲しかった。
ニーチェいわく悪とはキリスト教徒の腐った発明品だった。
ピカソは本物の女の髪で、子を失い嘆く女性の絵画を作った(後に「ゲルニカ」となる)。
心理学は悪をオルター・エゴ(鏡写しの自ら・抑圧された自己の一部)として説明した。
オーデンは「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」で悪のさなかにある人間の呼び声を描いた。  

何の役にも立たなかった。
自殺の計画を立てた(絶対に真似しないで)。
私の登山用リュックは、二つ、デコボコの留め具がある。
そこをガムテープで塞ぎ、十キロの米を入れた後にチャックをむしり(あるいはガムテープを貼る)冬の川に行く(低体温で少しでも救助可能性を下げるため)。
飛び込む勇気はないけれど、ある深さまで行ければ自然と米の重さで沈むはず―夏の海水浴で子どもを助けようとした大人が死ぬように。
あとは私自身も、仮にありがた迷惑な救助者が来ても、体重60キロ+米10キロの塊を水中から引き上げるのは極めて困難な作業のはずだ。
首つりは小便やよだれが垂れると聞くし、飛び降り自殺は他人を巻き込む恐れがあるから、これがベストのはずだが分からない。

夜の二時か三時を見計らって(米は事前に買っておく)、川に行き、人目につかないよう、ゆっくり静かに深みへ向かう。
これで、たぶん死ねるはずだった、確証はなかった。

希死念慮のイメージとして、毎日死にたい、死にたいと頭を抱えるサラリーマン的な風景が浮かぶが、それは正確にはハイジのブランコである。
つまり、「生きたい、生きなければ」という感情と、「死にたい、死ななければ」という感情が、加速度のついたブランコのように交互に訪れる。
気分は、意見の全く異なる二人のヤクザに、おでこと後頭部に銃口を突きつけられ、互いに矛盾する脅迫をされ続ける店員である。
しかもブランコは止まらない。だから、希死念慮を持つ人間の自殺を止めることはできない。
例え一度希死念慮を持ち、今は回復した私にも、当然そんなことはできない。
一人の人間が、本当に死を望むとき、それを止めることができる人間はいない。
だから周囲の人間も(よほど明白な加害行為―首を絞めるとか継続的な自殺示唆をするとか―をしていたのでなければ)自分を責める必要はない。絶対にない。
  
自殺未遂が失敗した後、私は、「もうこれで怖いものはなくなった」と思った。
自分は一度「死」という、万人が恐れる死神の鎌をすり抜けてきたのだ。
自分が英雄になった気がした。スーパーヒーローになった気がした。これからは何も恐れず生きていけると思った。
だめだった。
うまいものが食いたかった。女の膣に射精したかった。眠りたかった。
誰かに優しくされたい。頭を撫でられたい。生きていたい。
希死念慮を抱えた後、最大の問題は、生への欲求が絶えないことだった。
ずっと生きていたい。なのに死にたい。自分自身が常に二つあり、バラバラになってしまう。
私が私の背からずり落ち暗闇に取り残される恐怖を、私が私を暗闇に見棄て歩き去る恐怖を、どちらも今でもどう言葉にすればいいのか分からない。

だから、私は今でも誰が、何が私なのかよく分からない。
自分の生が、映画のカメラ越しのように、あるいは本再生が終わった後の、いつでも電源が切られるチャプター再生のテレビ画面のように感じる(今はずっとよくなった)。

下らない自分語りと不幸話である。真に受けなくていい、虚栄心か愉快犯的な嘘だと思っていい。

今、もし人間の悪について私が精一杯答えるなら、それは人間がみんな業縁を抱えているからだ、と言う。
私たちはみんな、数え切れないほどの間、生き死にを繰り返し、過ちを繰り返し、自分自身で自分自身を壊しながら生きてきた。
だから、もう、どんなに正しくありたい、善くありたいと願っても、私たちは何もかもが壊れて、醜く歪んでいるから、汚染された土壌に美しい花の咲く木を植えても醜く捻れ、やがては枯れるように、私たちは誰もみな、善いものや美しいものから遠く隔てられ、壊れながら生きている。この今もなお。

これは親鸞の教えを無学な私が言い換えたもので、人間や、人間の悪について、私はやっと答えを見つけられたのだった。
信じるべきものは、ただ、弥陀の本願―第十八願をおいてほかにない。
弥陀の計り知れない思し召しに、私という凡夫はひたすら甘えて、念仏を唱え続ければよい。
弥陀の本願は大樹であり、私たちの穢れた心に根を下ろし、遥か底を流れる清水を―仏性を―汲み上げて下さる。
信じるべきはそれだけで、悩む必要も苦しむ必要も、もうありはしない。 
ただ弥陀の本願を信じ、浄土に生まれることを欲する。

どころか実際はささいなことで悩み、苦しみまくっているが、けれど、決して昔ほど怖くも、恐ろしくもない。
阿弥陀仏は私に気づいてくださった。私にお声をかけてくださった。私に計り知れないお誓いをお示しになられた。たった一度の念仏でも、私を浄土へ生まれさせると、それは身に余る、不相応な扱いなのに、阿弥陀仏は確かに、こんな惨めで醜い私にお誓いを示してくださった。

なぜこんなことを書いたかというと、一つは私の体験を第三者的なものとしてどこかで吐き出さなければと思っていたのだ。
不幸な人間は、いつか自分の不幸を自分の支えとし始めるし、他者の幸福も不幸も、等しく妬み貶めるようになる。
私はその一人である。
だから、まとまった言葉で外側に出し、私自身を説明しておきたかったのだ。
もう一つは、私自身の悪の起源や信仰のきっかけを明白にしておきたかった。これで明日棄教していたら笑うほかないけど(退路を絶ってしまった)。

このまま終わるのもシャクなので、夏目漱石「変な音」の話をしておきたい。
夏目漱石自身の実体験から来る話で、青空文庫で読める。

先に書いたが私自身四ヶ月弱の―大変長かった―入院経験があるので、物音に敏感になる病人の感覚はよく分かった。
とにかく、全てが苛立つのだ。テレビの音、電話の声、看護師との世間話、子どもの駄々、ポテチの音、カップヌードルを啜る音。
おかげさまで私も入院中、小声で「死ね、死ね」と呟かれたことがある(その相手のことは死ぬほど憎いし夜の東京湾で喉にカマキリを詰め込まれて死んじまえと思うが、人はみな一人一人孤独で暗い業縁を抱え、必死で生きているのだから)。

「変な音」は、端的にまとめると「胡瓜きゅうりの音でひとらして死んだ男と、革砥かわどの音をうらやましがらせてくなった人」―つまり、お互いの立てる生活音に気を取られながら、片方は死に、片方は生き残った病人の話である。
漱石の実体験を用いていることから私小説的ではあるが、読むとわかる通り、明白なフィクションへの意志が作品を貫いている。

この話も、私は業縁の不思議さを考えずには読めない。
これは推測だが、書いている漱石自身、ふと思ったのではないだろうか。
他人の生活音が気になる―その心の働きは向こうもこちらも同じである。なのに片方は死に片方(漱石自身)は生き残った。
しかし、その差にどれほどの意味があるだろうか。
なぜ、きゅうりを擦る側ではなく、ひげ剃りの砥石側の自分が生き残ったのか。
そこに、人間の力で意味を与えることはできない。
だから、私はこの話を読むたび考えてしまう―人の生に働く、無意味としか見えない縁の不可解さに。
また、業縁に引き裂かれる生のさなかにある、私たちみなに、弥陀がお示しくださった本願のお力に。


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