見出し画像

たゆたえども沈まず

たゆたえども沈まず。

パリ市の紋章に刻まれた言葉です。パリの歩んできた歴史が、気高く、誇り高いこの言葉を刻印しています。

原田マハさんの小説『たゆたえども沈まず』を初めて読んだのが2019年。当時は人生に焦りを感じていて、不安も強くて。ゴッホの不器用さ、「一生このままなんだろうか」という絶望と孤独に共感して食い入るように読んだことを覚えています。この小説で初めて知った言葉、たゆたえども沈まず。

どんな嵐がきて波にのみこまれたとしても絶対に沈まない。嵐がきても、波にのまれても、風嵐が通り過ぎればいつも通り、穏やかで光眩しい川面に戻る。

柔らかく、しなやかで、だからとっても強い。

私はこの種の強さがとても好きです。例えば大きな1本の木は、一見強そうに見えるけど嵐がきたらポキっと折れてしまう。でも草は、雑草は、一見とても頼りがいがない。何度も何度も踏まれるかもしれない。でも、踏まれても嵐がきても、何度でも立ち上がる強さがある。

「柔能く剛を制す(じゅうよくごうをせいす)」

という言葉があるように、柔弱く見えるものは、もしかしたらとっても強い。いや、きっととっても強い。

・・・・・・・・

急になんの話やねんっ!!!!!!

今、セッションさせていただいているある方を思って書いています。すみませんが独り言です。

今までセッションさせていただいた中で、おそらく最も感受性が豊かで、強く、それでいて、いろんなエネルギーも受け取りやすい方。

きっと読者さんの中にも、全身の感受性がむき出しになっているような方がいらっしゃると思うんです。感受性が強すぎるほど強く、皆んなが見ないものを見て、聴かないことを聴いて、感じないことを感じ取る。心を剥き出しにしていたら、それだけで辛くなってきてしまうような。鈍感になりたいけど、鈍感になったら自分の中の何かを殺してしまうような。そういう方を見ると、なぜかいつも心に浮かぶ言葉、たゆたえども沈まず。

一種の生き辛さを抱えて、何度も嵐に雨に波にのまれる。だけどその嵐雨波が通り過ぎれば、世界を明瞭に捉える瞳が育っている。繊細な人にしか捉えられない世界。感受性が強すぎるような人にしか見えない世界がある。

だから自分を責めないでほしい。浮き沈みがあることを、嫌に思わないでほしい。大丈夫。あなたは何度だって上がってこれる。たゆたっている最中だから。

パリにて。念願の「星降る夜に」
あとはNYの「星月夜」!

話は変わります🙇‍♀️

昔の演劇仲間に、不器用すぎる生き方をしている人がいて。人が良すぎるというかなんというか…。

劇団のトップなのに、自分より役者が食べれるような仕組みを作ってる。自分は働いて、働いて稼いだお金を1人芝居のお金に充てて、役者はノルマがない。(普通チケットノルマがあってそれでまかなう)それどころか、役者へのバックが高い(役者はお客さんを呼べばそれがちゃんと稼ぎになる仕組み)あなた身体壊れるよ、っていう。それでも「役者がいないと成り立たないから」って。芝居を作るのが好きだからって。まるでタンギー爺さんみたいよな。

社会的には成功してないけど、社会的な成功とかってどうでもいいよなって。生き方の美学を貫いている人って、もうそれだけで自分の人生の上での成功者なのではないかと、私の目には映りました。

ゴッホだって、世界に見つけられなかったら、この絵はどこかで眠っているはずだった。もしかしたらいろんな人のいろんな想いのほとんどは、どこかで眠ったままかもしれない。でも、それでいい。可哀想なことなんかじゃない。誰かに見つけてもらったとしても、はたまた見つけられなかったとしても、自分の生き方の美学を貫けたのならそれが大成功だよね。と私は思います。

初対面、鳥肌が立ったよ、すごく。

ただ、身体だけは壊さないでくれよな!みんなもね。

独り言を最後まで読んでくれてありがとう。

みずき

いいなと思ったら応援しよう!