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答え合わせができた日

忘れたくないから書いた。
日記のような、決意表明のような。

講演会『全ての人が演劇を楽しめるようにー障害者観劇サポートの取り組みー』

今日、11月15日。
大学のゼミで企画した講演会当日だった。
題目は、『全ての人が演劇を楽しめるようにー障害者観劇サポートの取り組みー』。
講師に来てくださったのは、兵庫県立青少年創造劇場ピッコロシアター広報交流専門員の古川知可子さん、そして劇団員でありピッコロ演劇学校主任講師の菅原ゆうきさん。

関西学院大学の図書館ホール。
受付も司会も案内も、見知ったゼミの面々。そんな空間で前に立ちマイクを持つのは古川さん、そして2年前大学を休学して通った演劇学校本科38期でお世話になった、菅ちゃんこと菅原さん。
不思議な感覚だった。
懐かしいのと嬉しいのと、なんだかちょっと恥ずかしいのと。少し不思議で、心から楽しく勉強になる、充実した1時間半だった。

企画のはじまり

そもそもの始まりは、毎年ゼミで12月3日から12月9日の障害者週間に合わせて行っている企画の内容を決めようという話。

様々な案が出る中で鑑賞サポートについての企画をあげた時の私は、正直選ばれることはないだろうと思っていた。
そこには演劇を始めて数年間、演劇関係者以外の友達や知り合いに公演の話をしたり観劇に誘った時の反応の記憶が積み重なって生まれた、諦観のようなものがあったのかもしれない。

だからこそ多数決で"鑑賞サポート"が選ばれた時、嬉しさと同時に「本当にいいんですか…?」というような不安もあった。

福祉と演劇

そもそも私は元々福祉に大して深い興味があるわけではなかったし、今でも福祉士の資格を取ろうと実習に趣き勉学に励んでいる多くのゼミ生に比べたら素人に毛が生えた程度の知識しかないと思う。

そんな私が福祉を学ぶ意味を明確に持ったのはつい最近。なんとなく掴みかけた気がしたのは2年半前、演劇学校を卒業する頃だった。

人間福祉学部に進学して最初の1年、コロナ禍でほとんどがオンライン授業。サークルは活動が始まらずやりたかった演劇もできない。
そんな中で福祉を学ぶ意味はおろか大学に通う意味すら見失っていた当時の私は、一度大学を休学して1年間演劇だけと向き合ってみることにした。

授業は火曜日と木曜日の夜間。仕事をしながら通う人もいるピッコロ演劇学校。正直休学しなくても十分に両立することができたと思う。

それでも休学することを選んだのは、自分が目的がなければ努力できない人間であることをよく知っていたからだった。
福祉を学ぶ意味を持たないまま大学に通う時間は自分にとって苦痛でしかない。
だから最初はそのまま退学するつもりでいたし、"福祉を学ぶ意味を見つけたい"というのは大学に提出する休学届に書いた表向きの理由でしか無かった。

休学していた1年間は、今思い出しても胸が高鳴るほどとにかく楽しくて、刺激だらけの毎日だった。演劇学校本科38期、前期発表会が終わった時のことだったと思う。感想を聞かれて、「演劇を始める前から自分は絶対演劇を好きになるって確信があった。思った通りだった。」と言ったのを覚えている。
その気持ちは今も変わらず、役者としてでも作演出としてでも観客としてでも、演劇に触れる度「やっぱり演劇が好きだな」と思う。
そしてどんぐり企画でより作り手としての目線を得た今、「演劇が好き」という気持ちは「もっといろんな人に演劇を観てほしい」と強く思うところまで育っている。

話を戻して2年半前、そのまま退学するつもりで休学届を出した私が復学を決めたのは、演劇やってりゃ大抵の経験は無駄にならないとわかったからだ。
なんなら無駄な時間を過ごすことすらも無駄な時間を表現する上で役に立つんだから無駄じゃなくなる。それが演劇。
この時はまだ明確に福祉を学ぶ理由を見つけたというわけではなく、まぁ無駄にはならんし行くだけ行っとくか、くらいの感覚だった。

それが2022年の春のこと。
どんぐり企画の立ち上げとほぼ同時だった。
その時点で福祉に関する知識はコロナ禍のオンライン授業で得た1年分。演劇に関する知識も休学して演劇学校で学んだ1年分。
別の時、別の場所で学んだふたつの世界は、大学で福祉を学びながらどんぐり企画の活動をする生活の中でどんどん結びついていった。

どんぐり企画と合理的配慮

合理的配慮、情報保障。

福祉を学んでいたら頻繁に耳にする言葉だ。

これらは「もっといろんな人に演劇を観てほしい」を叶えるために欠かせないピースなのではないか。
「たくさんの人に観てほしい」と言いながら私たちは無意識に、想定する"観客"からろう者や盲者を排除してしまっているのではないか。
福祉を学び、公演を重ね、私は作品を生み出し創り上げたその先、届ける先を見るようになった。

「演劇をいつもそこにある存在に。」

そして届ける先を限定してしまう無意識の排除は、このようなコンセプトを掲げるどんぐり企画が決して無視してはならないことだと今強く思う。

これが今の私が福祉を学ぶ、明確な理由だ。

今日、古川さんと菅原さんお二人の講演を聴いてその思いはより強固なものになった。

情報保障と想像保障

2015年、2016年4月の障害者差別解消法施行に先駆けてスタートしたピッコロ劇団の鑑賞サポート事業。初めは台本作りやナレーションを福祉放送のアナウンサーに依頼し、正確できめ細やかに舞台の様子を伝える音声ガイドを提供することから始まった。
それから9年の月日が経ち、現在では音声ガイド、バリアフリー字幕、舞台手話通訳など様々な鑑賞サポートが提供されている。それらは福祉的な"情報保障"とは似て非なるもの。菅原さんは"想像保障"という言葉で表していた。
災害時や公的な手続きの場面で求められる正確できめ細やかな音声ガイドや手話通訳は、情報量が多く想像の余地を残さない。
それは福祉的な正解ではあっても演劇の魅力や楽しさを伝えきれるものではない。

そんな当事者の声を聞きトライアンドエラーを重ね、ピッコロ劇団がたどり着いた鑑賞サポートの形が、現在の音声ガイドやバリアフリー字幕といった、俳優が作品の一部として作り上げるもの。正しさより楽しさを。障害の有無に関わらず、家族や友達同士が同じ時に舞台を観て、一緒に泣いたり笑ったりできるように。

実演を混じえて教えていただいた音声ガイドや字幕の工夫は、舞台に立つ俳優の目線と技術、当事者の声、福祉的な視点、知識。そのすべてが交ざり重なり合った先のものだと思った。
たくさんの演劇人と当事者が多くの時間を費やし練り上げられた、現時点でおそらく最高級の鑑賞サポート。講演を通して"誰もが楽しめる演劇"を実現することの難しさを痛感すると共に、全国初の県立劇団としてピッコロ劇団が果たす役割の大きさを改めて知った。

無理しない範囲で、でも少し頑張って

ただでさえセクハラにパワハラ、人手不足、資金不足、演劇関係者以外での集客の難しさなど数え切れないほどの問題を抱える関西小劇場において、いち学生劇団や社会人劇団がピッコロ劇団のような充実した鑑賞サポートを提供することは現実的ではない。
それでも、せめて観たいと思ってくれた人がいた時に劇場の扉を開いておけるように、台本の事前配布やタブレット字幕など小さなところから始めていけたら。

古川さんのお話の中で、特に印象に残った言葉があった。

合理的配慮とは
無理しすぎない範囲で
でも少し頑張って
新しいサービス(価値)を創造すること。

この「少し頑張って」という部分を怠ることなく続けていきたいと思った。
合理的配慮提供の要項には「過度な負担にならない範囲で」というなんとも曖昧な表現が含まれる。今年4月に障害者差別解消法が改正され、事業者を対象にしたものではあるが合理的配慮の提供が義務化された。そんな中でも小劇場を始め多くの合理的配慮の提供がなかなか進まないのは、鑑賞サポートというものが知られておらず演劇を届ける側が届ける対象から見えない人や聴こえない人を無意識に排除してしまっているからではないか。そうでない人も過度な負担になることを恐れて一歩踏み出すこと、「少し頑張る」ことをしてこなかったのではないか。

だとしたらそこに、福祉を学びながら演劇に関わる私だからこそできる何かがあるのではないか。

3年間の答え合わせ

演劇と福祉という自分にとって大事なふたつの世界が交わる部分のお話を、大学で、ピッコロのお2人にしていただいた1時間半。
私にとってはこの3年間の答え合わせのような時間だった。

福祉を学ぶ意味がわからず、休学して演劇学校に通うことを決めた19歳の私。
大学に通う明確な理由は見つからないまま迷いに迷って復学を決めた20歳の私。

なにも無駄じゃないよ。
なにも間違ってない、大丈夫。

これから先、福祉を仕事にすることも演劇を仕事にすることもないかもしれない。
それでも演劇には関わり続けたいと思うし、福祉と演劇の両方を学んだ私だからこそ書けるもの、作れるもの、届けられるものが必ずある。

まずは小さな、自分の手が届く範囲から。

いつか必ず、全ての人にとって
演劇をいつもそこにある存在に。

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