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欲望が少ない人間は行動して周りと差をつけろ。自戒の意を込めて。

とりあえず行動してみる。これは自分にとっては特に重要であるかのように思われる。

自分は少し前に比べ、自分の意思決定について詳しく考えるようになった。意思決定をする際には必ず根拠を持って行いたいし、意思決定を行う前にできる限り考えるための材料を揃えたいと思う。

ただ、考えることは行動することから逃げているとも言える。

考えるのは、行動することに比べ、自分の頭の中にだけ留めておけるので、リスクが全くない。一方で、行動することには勇気がいるし、行動による結果をそれがどんなものであれ受け止める責任がある。

さらに自分が考えている間に他の人はすでに行動を始めている。自分がどの選択肢がいいかを考えている間に、すでに選択肢を決めた人はそれを突き詰める努力をしている。

自分は本当にやりたいことを探しているが、それが中々見つからない。最近思うのは、やりたいことなんて考えてそうそう見つかるものではないのではないかと。つまりやっている中で楽しいと思えるものが、やりたいことなので、行動してみて初めて見つかるものなのではないかと思う。

自分は、できる限り真面目に生きるように育てられてからか、比較的周りに気を遣ったり周りに合わせて生きてきた。今となってはそのような生き方を変えたいと努力はしている(できる限り他人の真似をしないようにする等々)ものの、人間の根本的な部分を変えるのは難しく、人より自分の中から湧き出る欲望が少ないように感じる。

だからこそ、とにかくやってみて、それを自分のやりたいこととしての正解にするしかないのだと思う。

ただ、欲望が少ないことのメリットとして、自分がやっていることについて面白くないと感じることは少ないということだ。そのためやってみたら面白く、正解であるかのように錯覚するということがあるはずだ。だから自分はとにかく行動して、それを努力して突き詰めて、正解にすることに適した人間なのかもしれない。確かに自分の人生を振り返ると、後悔が残るのは選択肢を誤った時というよりも、行動を怠って何もしなかった時であると感じる。例えば、大学一年生にサークルに一つしか入らなかったこと、バイトに精を出さなかったこと、コロナ中にYoutubeばかり見て何もしなかったことなど、全部共通して行動を怠っている。

つまり、選択をし切って退路を断つことも大事だと思う。退路を断つことで、一つのことに専念せざるを得なく。そのような状況を意図的に作り出すことが大事であるように思う。

もちろん欲望が少ない自分にも満たしたい欲望があるはずである。その欲望が満たされているから、今までの行動の選択が正当化されているのだと思う。というのも今までの人生比較的楽しく生きてこれたからだ。これ以上楽しい人生があるのではないかと高望みするのもおこがましいのかもしれない。

ただ、仕事がつまらなかくなって、仕事に精を出さないようなかっこ悪い大人にはなりたくない。

自分はなんでも正解にできる人間なのでだからこそスタートダッシュを決めて周りと差をつけられるはずなのだ。さあ動き出せ!!!

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