「生きてるだけで丸儲け」
「我々人間が生きる意味とは何か?」
よく話題にされることであり、またこれについて頭を悩ませる人は多いだろう。自分も最近これについて考えることがある。この問いに関する自分なりの考えがあるので、それを記す。
宇宙視点で考える
よく宇宙の視点から考えると地球の中の人間が何をしても、意味がないのではないかという意見をよく聞く。精子と卵子から生まれた我々生命は、ただ生まれて死ぬまで活動をするだけで、そこに意味などないのではないかと。
確かに宇宙から見た地球なんて、ちっぽけだし、数ある銀河系の中の一つの銀河の中の惑星の一つに過ぎない。そう考えると地球でGoogleという検索エンジンができようと、大谷がホームランを多く打とうと、宇宙レベルで何かをもたらす話ではなく、地球レベルで全て完結する話である。
宇宙探索ロケットを打ち上げたり、火星移住生活のためのプロジェクトを進めたりすることは、宇宙視点で考えたときに意味があるのではと言われるかもしれない。しかし、それも数多くの銀河の中の一つの中で完結してしまうような話である。
つまりメタ視点で考えることで自分に生きる意味がないようにどうしても思えてしまう。
生きる意味とは
自分はメタ視点で自分の生きる意味について考えることはできないと思う。
メタ視点で、つまり宇宙視点で地球を眺めて、自分の生きる意味について考えるとは言うものの、その視点で見ているのはあくまで自分なのだ。
この世界を知覚しているのは、あくまで自分である。地球だけではなく、宇宙でさえも自分が知覚しているものであり、自分という存在なしでは宇宙は成り立たないのだ。
そう考えるとまず、自分という存在が世界を成り立たせているという事実が自分が生きる意味であると私は考える。
つまり自分が世界を知覚している限り、自分という視点からは逃れられない。自分視点に対するメタというものが存在し得ないのだ。
そのメタを考えるというのは、0から宇宙が生まれたという事実(宇宙が作られた原理)を理解しようとするようなことで我々人間では到底できないし、その事実を理解する能力を持ち合わせていない。おそらく人間よりも一つ上のレイヤーの存在によるものだが、そこを我々は知覚できない。
なので自分が知覚する世界で生きている自分にとっては生きる意味しかない、生きているということ自体が意味なのだ。まさに明石家さんまさんの名言、「生きてるだけで丸儲け」である。
そこで命を落とすというのはその意味を損なうということを意味する。
愛というヒント
自分自身が生きている中でそれ自体が意味であるが、その自覚がなかったりそれについて忘れてしまったりする人間も多い。
そういった時に私たちが生きることこそが意味であることを再認識させてくれるのが愛なのかもしれない。
愛を受け取ることで自分が生きていることが肯定される。
愛は、人間よりも上のレイヤーの何かが、人間に与えた生きるという意味を明確に感じることができる術・ヒントなのかもしれない。
まとめ
私たち人間は生きている中に意味を求めようとして、それを生きる意味として捉えるようにしようと考える。
しかし、自分が生きていること自体が意味であるのだ。
だから何か意味のあることをしようとしたり、自分の意味を見出す努力などする必要などないのだ。
結局は自分の欲に従い、自分の好きなように生きるで良いのだ。たとえそこに意味を見出せなくても。
自分らしく生きよう。