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インタビュー その1        (松谷阿咲さん・アイリスレゲヴさん)

アッセンブリッジ・ナゴヤの音声配信企画、「名フィルメンバーの対話で綴る2020ー演奏会空白のときー」にむけて、10月11日に、アッセンブリッジ・ナゴヤの総合案内及び、展覧会が行われているポットラックビルにて名古屋フィルハーモニー交響楽団の団員さんにお話を伺いました。そのインタビュー内容に音源やリンク、写真を加え、noteで綴ります。


ヴァイオリニストの松谷さん、チェリストのレゲヴさんが演奏する、グリエールの小さな3曲の響きの余韻に包まれた会場で、インタビューは始まりました。

演奏音源はこちらから 


レゲヴさんは、「日本に2年住んでいますが、まだ日本語がうまく話せないから、、、」と英語でインタビューに答えてくださいました。収録の様子の概要を文章と、また、インタビューの中で出てきた本や、音源のリンクなども交えながらご紹介します。

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-自粛期間中の過ごし方はどのようでしたか?
-毎日していたこと、新しくはじめたことはありますか?

松谷:家でできるエクササイズをyoutubeで見て、できる限り毎日していました。


レゲヴ:毎日5分のエクササイズしていました。自粛中にエクササイズや、読書など、自分のスケジュールを決めて動いていました。じつは普通の生活が始まってからも、なるべくその生活をしているんです。
松谷:新しくはじめたことには、パン作りがあります
レゲヴ:わたしもパンや焼き菓子を作っていました。私達は仲がいいので、よくメッセージのやりとりをしていますが、松谷さんが作ったパンの写真を送ってくれて、私も何か作って送ったりしていました。
松谷:シナモンロールや、ウインナーロールをよく作りました。工作感覚で楽しかったです。

あさき写真

松谷さんが作ったパンたち。


レゲヴ:私はチョコケーキやクッキーをつくりました。故郷イスラエルのピタパンも。
本は、以前からの愛読書であるアンナカレーニナを4回読みました。読むたびに、新しい発見がありました。
松谷:大学の先輩が作家デビューをしたので、わたしはその本を。ベランダで読んだりしました。

アイリスケーキ

レゲヴさんの作ったケーキ


レゲヴ:私も。ミシェル・オバマの「becoming」(邦題:マイストーリー)という本は良かったですね。希望に満ちていて、この時期にとてもいいと思いました。



西田:私は美術館のオンラインコンテンツなど、よく見ていましたが、お二人は?

※西田さんの親友がマーケティングマネージャーを務めるEnglish National Balletの芸術監督のオンラインバレエレッスンもよく観ていたそうです。



松谷:建築が好きなので、インスタグラムなどで眺めて、妄想で旅行していました。​



レゲヴ:我々は、インターネットのおかげで世界中のさまざまな美しいものを見ることができます。友人や離れた家族と簡単にコミュニケーションを取ることもできますし。スペインかぜが流行った100年前は、どうやって人々は過ごしてたのだろう、と思います。

私はバルトリの歌うモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」を聴いて、彼女が歌うように自分のチェロを奏でたいと思いました。



ー同じ演奏家で海外居住の方の活動などで印象に残ったものはありますか?

レゲヴ:以前イスラエルのオーケストラにいた時の同僚であるチェリストの友達は、最初のロックダウンの時、それぞれの家のテラスで演奏をする形でのデュオコンサートをしたようです。道を通る人が立ち止まって聴いたり、近隣住民が窓を開けて聴いたそうです。初めのロックダウンの時は、家から500m以上(スーパーや医者を除いて)離れられず、、今は、第二回目のロックダウンで1kmしか出歩けません。違反者には罰金が課されます。
可哀想なのは子供達です。学校は閉じ、全ての行事もキャンセルになっています。なので、私の友人に日本の状況を話すと、あなたは日本に住んでいてラッキーだね、と言っていました。
私の息子は、私と一緒に5日だけ父親がいるタイを訪れたつもりが、ほんの少しだけ滞在を延ばしたことでロックダウンに引っかかり、7ヶ月も日本に戻れませんでした。
松谷:私の友人の海外在住者はむしろ日本に来れないといっていましたね。

ー演奏会が再開したときにどのようなお気持ちになりましたか?

松谷:2月末から6月末までの4ヶ月間演奏会が自粛となりました。自粛明けには、オーケストラに先立って、私とアイリスさんは他の数名のメンバーと室内楽公演をお客さんの前でしました。自分自身、どう感じるか楽しみでもあったのですが、自分の予想を超える「お客さんの前で弾ける」「仲間と演奏できる」喜びがありました。
レゲヴ:私も同じで、お客さんの前で演奏するのは、本当に幸せでした。4ヶ月一人で寂しく家で練習するしかなく、また隣に住んでいる人たちも日中自宅でテレワークをしていると思うと、邪魔をしないようにと、小さな音で弾くしかありませんでした。演奏会で久々に仲間と演奏することができ、演奏をお届けできたこと、また、自分の出す音がここでは騒音ではなく、音楽なのだと実感できたことは大きな喜びでした。
松谷:弾いてもいいんだ、という気持ちになりました。

レゲヴ:自粛前と違い、今はコンサートにくるということは、お客さまは、消毒や検温などをしてから会場に入っていただくことになります。そのような手間を負ってでも来てくださるということは本当に嬉しいです。

入場

感染防止対策をしたコンサート時入場風景  撮影:中川幸作

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リスナーの方の質問事項から:皆様は新しい様式に違和感を感じたり、心が折れそうにはなりませんでしたか?また、どのようにして受け入れられましたか?

松谷:演奏再開となった時は、演奏者も間隔を開けて演奏をすることに、違和感を覚えコンタクト取りにくいとは思いましたが、仕事として、そのようにしてでもやるしかない!という感覚でやっていました。

レゲヴ:我々が一緒に演奏する時は、表情でもコミュニケーションを取っているのですが、マスクが顔のほとんどを覆っているので、難しくなりました。日本人指揮者の指示も、マスクで日本語も表情もわかりづらく、同僚に通訳してもらって理解しています(笑)
松谷:意外と慣れるな、、ということはありましたがやはり元どおりに弾けたら一番いいですね。
西田:マスクがとれたときはどんな気持ちになるのでしょうね(笑)
アイリス:一つだけメリットがあるとすれば、口紅をつけなくていいことですかね(笑)
松谷:ぜひご質問いただいた方にも、やめないで続けていただきたいです。
西田:今もマスクは着用でコンサートですか?
松谷:リハーサルはマスクですが、本番では外しています。
西田:距離感はどうですか?
松谷:少しずつ当初よりは縮まってきてはいます。
レゲヴ:(ソーシャルディスタンスの関係で)人数も減らした編成から始めました。

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ークラシック音楽はアートにも言われがちですが、敷居が高いと言われがちなのですが、距離を感じる方への楽しみ方を教えてください。

レゲヴ:ハイアートとか知的なもの、と言われることもあるクラシック音楽ですが、私にとっては、何を考えるかより、音楽にどう感じるか、どう反応するか、ということが大切だと思っています。
子供達たちは、純粋に音楽に反応し、素晴らしい観客となります。有名な人だから感激するのではなく、良い音楽に反応するのです。ですからどうぞ気軽にコンサートへ来て楽しんでください。
今でこそクラシック音楽という過去のものと捉えられますが、その音楽が生まれた時はポピュラー音楽でした。
松谷:曲が生まれた当初は革新的なものでしたよね。
西田:歌舞伎や、印象派の絵画なども、当時は庶民の娯楽であったり、ショッキングで前衛的なものだったりしたのと同じですね。
松谷:もともと日本の文化ではなかったクラシック音楽だったので、格式高いイメージがつくられてしまったのかもしれないですね。近頃はテレビ番組などでも、楽曲解説をしてくれるような番組もあって、そのようなものをみてもより身近に感じるきっかけになるかもしれないですね。

西田:逆に、演奏者側からできることなどはあるのでしょうか?

松谷:今は難しいかもしれませんが、アットホームな空間で対話のできるコンサートを企画していきたいとは思っています。リクエストを受け付けるなどもよいかな、と。

西田:オンラインもうまく活用していくといいかもしれませんね。

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ー音楽の持つ力についてお聞かせいただけますか?音楽家の方にとっての「生演奏とはなんですか?」という質問も届いています。

レゲヴ:我々が演奏している音楽には、ずっと前に書かれたものも多いのですが、時を経てもまだ演奏され続けています。なぜなら、それは、言葉を超えて、愛、悲しみ、怒り、喜び、嫉妬、などという人間の全ての感情に直結しているからです。人種や国籍が違っても同じ感情を持つと思います。そして同じ音楽を愛せると思います。

松谷:本能にダイレクトに響きますね。先日、「心の食べ物」と音楽のことを指揮者の広上さんがおっしゃっておられましたが、その通りだと思いました。

レゲヴ:音楽は希望とインスピレーションを与えてくれます。特にこのような時だからこそ、と思います。


西田:あっという間のひとときでした、お二人ともありがとうございました。

松谷・レゲヴ:ありがとうございました。


ーーインタビューを終えてーー            

言葉を交わす前に、まずお二人のアンサンブルから始まったインタビュー。
半年以上ぶりに触れる生の楽器が奏でる音楽、生身の演奏家たちの息遣いに、おおきく心が揺さぶられ、思わず涙の浮かんだスタートとなりました。

自粛期間中は、練習はもちろんのこと、パン作り、インスタでの妄想旅行、読書と、わたしたちの多くが共感する過ごし方をされていたというお二人のお話に、親近感を感じられたリスナーの方も多かったのではないでしょうか。そのなかで、やはり印象的だったのは、演奏会再開のときのお二人それぞれのお気持ちでした。想像以上に自らの胸に迫ったという「お客さんの前で演奏できることの感動」について松谷さんが語られると、そのために聴衆の皆さんが払ってくれる努力について、敬意と謝意を表しておられたレゲヴさん。また、「ここでは自分の音が騒音ではなく、音楽なのだ、と実感できたことは大きな喜びだった」(レゲヴさん)「弾いていいんだ、という気持ちになった」(松谷さん)というお二人の言葉には、おなじ芸術分野に属する美術の現場で、不要不急論に仕方がないと納得したり寂しくなったりしながらも、「不急かもしれないが、要ではある」という気持ちを小さな灯に、できることをしながら過ごしてきたわたしにとって、切実な重みがありました。同じ「音」でも、状況によって、それは迷惑なものになったり喜んでもらえるものになったりする。迷惑になるのではないか、という遠慮と不安が常につきまとう状況では、音楽の素晴らしさを信じていても、自分でも気づかぬうちに弱気が忍び込んでいることもある ー そんな生身の人間としての揺らぎと、信念と自信を取り戻した瞬間の喜びが彼らの言葉には感じられ、そこにわたしも大きく共感し、また励まされたのだと思います。「そうだ、これだった」という、染み渡るような感慨。弾ける嬉しさ、聴ける楽しさ。「当たり前の有り難み」については、誰もがこの半年を通じてさまざまに振り返る機会があったことでしょう。クラシックコンサートにおいては、演奏できる、聴きに行けることがそれにあたると言えます。この秋、聴く側の喜びを再認識された方も多いであろうリスナーの皆さんにとっても、演奏家の弾く喜びについて彼ら自身の言葉で聞けたことは、嬉しい体験となったのではないでしょうか。

また、この2月以降の日々を振り返る中、イスラエルにゆかりの深いレゲヴさんの「日本の状況はまだ恵まれている」という発言にも、はっとさせられました。祖国での厳しいロックダウンの状況や、少しのタイミングのずれで7ヶ月も息子さんが日本へ帰ってこられなかったという、世界に散らばるご家族ならではの困難。それらを聞くにつけ、視野の狭くなりがちなこのような時にも、周囲への思いやりや、自分も大きな世界の一部なのだという自覚を忘れてはならないと再認識しました。

そして、「音楽は、すべての人間の感情に直結する、本能に響く心の栄養なのだ」というお二人の言葉に、じんわりと優しい味の、滋味深く温かいスープをいただいたような気持ちになった終盤。ゆっくりと心の温まる、お二人のお人柄を象徴するような締めくくりでした。 (西田雅希|キュレーター)

      

                        











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