憂慮とモノワカリ
一時期テトリスというゲームが流行した
一言でいうと隙間を埋める単純なゲーム
昔 駐輪場で欧州の人に質問されたことがあった
チョットイイデスカ
なんでしょうか
ドーシテ ソコトメルンデスカ
空いてるからですよ
ホカニモ アイテルトコ イッパイアリマスヨ
ドーシテ セマイトコロニ トメルンデスカ
そんなこと気にしたこともなかったので絶句した
すると欧州人はニヤリとしながら立ち去っていった
しばらく頭から離れず、わたしは理由を探していた
そう、訓練を受けていたのだ
幼稚園、小学校 気がつくと隙間を埋めて配置することを
入念に訓練されていた
隙間を埋めることが気持ちよくなる程度にまで
隙間を埋めない人を不快に思う程度にまで
訓練の域外にいる人には通じない
奇妙な行動に見えたに違いない
私たちが普段 気にも留めない無意識の世界には訓練の成果が
どっしりと根を生やしている
より注意深い気持ちで、そのことを意識しようと頑張っても
意識できないところはきっと残っている
その憂慮は自分を少しだけモノワカリが良い人にしてくれると信じてる