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性愛や結婚周りの自己紹介

僕の性愛観、結婚観を形成してきたできごとを、幼児園児から現在(31歳)まで、時系列順にまとめました。

幼稚園児から小学生あたり:「エッチな気持ちになること」=「悪いこと」という価値観を形成する

こち亀やドラゴンボールなどのマンガの中で、「スケベ」なキャラクターがひんしゅくを買い、罰せられるのを繰り返し見たからではないかと思っています。

小学生~:児童向け文学を読み漁り、いつか運命の人と出会い➜手を繋ぎ➜キスをし➜結婚し➜幸せになるという思想を育む

青い鳥文庫あたりを、地元や学校の図書館で借りまくっていました。「パスワード」シリーズとか。大人向けの小説は「子どもが読んではいけないもの」だと、なんとなく思い込んでいました。

小5~:性に目覚める。穢らわしく罪深いものとして認識

両親と大喧嘩をした夜に、怒りの感情に任せ、初めて自慰行為を行いました。それが精通でした。

「小学5年生が自慰行為に耽ることは極めて重い罪である」という誤認を、当時の僕はしていました。だからこそ、親への幼稚な仕返しとして「罪深い」自慰行為に至ったのだと思います。同級生の間で自慰が話題として上がるようになるまでのそれから数年間、罪の意識が、頭を常にうっすらと覆っていました。

中学生~:「お付き合い制度」に疑問を抱く

すでに好き合っている者同士が、「私たちは彼氏彼女である」という宣言をし、「お付き合い」という関係をあらためて開始することが、一体誰を幸せにしているのだろう、という疑問を持っていました。傍から見ていて、「終わりへのカウントダウンを始めるための行為」であるような感じがしていました。始めることによって、むしろ終わりを早めているのではないか、と。

もちろんすべてのカップルがそうであるとは言いませんが、今でも同じ考えを僕は持っています。関係性というものは、出会った瞬間に生まれていて、どちらかがいなくなってしまうまで、ずっと続いていくものとして捉えています。人為的にあらためて何かを始めたり、終わらせたりする必要性を感じることは、ほとんどありません。

23歳:性行為の中に神聖な美を発見し、価値観が反転

婚活サイトMatch.comで14歳年上の女性と出会い、初体験をしました。

童貞期間が長かったためか、挿入から得られた物理的な快感は、期待していたものを上回らず、こんなものかと思いました。

しかし、僕の上で忘我する彼女の表情を見て、国立新美術館やテート・モダンで風景画を鑑賞しているときのような気持ちになりました。この体験によって、性行為=罪という価値観が、性行為=神聖な美しさという価値観に反転しました。

20代:婚外恋愛をする既婚女性たちの本音と建前を知る

当時、婚外恋愛をしている女性たちと親しくなることが増えました。初体験の相手だった上記の女性も含め、彼女たちは恋愛と結婚生活を完全に切り離していました。彼女らにとって、配偶者は恋愛の対象ではなくなっていましたが、家族やチームメートとして愛し、大切にしていました。

「運命の人と出会い、恋愛し、結婚して幸せになること」を、みんなが望む人生の幸福であると思い込んでいた僕の価値観が、彼女たちの生き方によって揺さぶられました。

25歳:ノンモノガミー、ポリアモリー、リレーションシップアナーキーといった概念を知る

婚外恋人として、婚外恋愛の当事者だったこともありました。彼女は僕と恋愛関係にあることを、夫には隠していました。彼女が夫に嘘をついていることはいけないことなのではないかと思った僕は、次第に彼女の夫と友人になり、3人で仲良くすることはできないのだろうかと考え始めました。

世の中にそれを実践している人がいるのかどうか、インターネットで調べ始め、ポリアモリー(同意ある複数恋愛)という概念に辿り着きました。その後、ポリアモリーのコミュニティに顔を出し始めると、自分が望んでいる関係性を指し示す言葉としてノンモノガミー(非一夫一妻制)やリレーションシップアナーキー(関係性に名前をつけない)といった言葉のほうがより近いと思うようになりました。

この頃から、自分が求めている関係性のスタイルが一体何なのか、自覚的に考え続けるようになりました。

28歳:恋や性愛の規範に関する作品を発表し始める

音楽から「リサーチに基づくアート」へと活動をシフトさせる中で、性愛規範と食文化史がリサーチ対象領域になっていきました。最初の頃は、自分の性愛について作品内で語ることに抵抗があり、食文化史の中で、抽象的に性愛規範を扱う程度でした。しかし、2019年に発表した《Deptfordとの恋愛関係を構築する試みにおいて》という作品と、《漱石、鷗外、本郷区とその周縁。恋とセックスと愛について話すとき》という作品をきっかけに、自分自身の性愛経験について、作品内で取り上げるようになりました。

それから徐々に、食文化史から性愛規範へと重心が移っていきました。今ではアーティストとしての活動領域を、明確に「恋や性愛の規範」としています。そして性愛規範を生み出す最も強力なシステム、つまり何が「正しい」性愛で何が「正しくない」性愛なのかを人々に浸透させるシステムこそが、結婚制度です。

31歳:コロナ禍とSuzuki Daikiとの再会をきっかけに、20年後くらいにやろうと思っていた「結婚制度をアップデートする」プロジェクトを始める

コロナ禍によるロンドンのロックダウンで自炊の時間が増えたことから、「ためにはなるが、ハマりすぎない動画をながら見したい」と思い、Y Combinatorというアメリカのスタートアップ支援団体のYouTube動画を見始めました。Y Combinatorは、DropboxやAirbnbを発掘したことで知られています。

並行して、Y Combinatorを創設したPaul Grahamの「スタートアップのアイデアを得る方法」というエッセイをかなり丹念に読み込みました。エッセイは日本語に訳して公開しました。

4月17日、朝7時14分。ロンドンでこれを書いています。増加が止まらない感染者数と死者数の速報と、毎週木曜20時のNHS(イギリスの国営医療サービス)関係者への拍手を除き、繰り返される日々。上達していくドリップコーヒー。そんな静かなロックダウン(都市封鎖)生活を送っているうちに、長期プランを考え直す必要があると感じました。プランを組む前に、考え方をシフトさせるようなものを読みたくなり、ふと目に留まったこのエッセイを丁寧に読み込むことにしました。「わからないところを訳しながら読むのなら、他の人も読めるように書き留めておこう」と思ったのが翻訳の動機です。

Y CombinatorのYouTube講義を片っ端から見ていくうちに、アートでは真ん中に自分がいて、スタートアップでは真ん中にユーザーがいるということを除けば、アートとスタートアップの進め方は似ていると思うようになりました。

スタートアップをやってみたいと思った僕は、どの領域で始めるべきなのか考え始めました。東京都が無料で実施している壁打ちミーティングなどを経て、独学領域と結婚制度領域に自身の熱意があることを確認しました。

「日本の結婚制度の現状にはひずみがある。これは誰かがいつかアップデートしなければならない」というのは数年前から感じていたことでしたが、ユーザーを見つけるのにも、投資家を見つけるのにも、何より一緒に取り組んでくれる仲間(共同創業者)を見つけるのにも早すぎるアイデアだと感じました。ひとつ目のスタートアップを売却できたら、ゆっくり取り組もうくらいに考えていました。

そうして独学領域に舵を切り、共同創業者を探し始めた僕は、エンジニアリングに明るい友人たちのうち、人として好ましく、かつ最も優秀だと思う2名に久しぶりの連絡をとりました。そのうちのひとりが今の共同創業者、Suzuki Daikiでした。

独学領域のプロジェクトを進めていましたが、思い描いていた反応をユーザーから得られませんでした。僕らが解こうとしていた課題に関して、ユーザーはあまり困っておらず、「解決策があったらいいよね=なくても困らないよね」というようなものだったのです。Daikiはターゲットユーザーの見直しを提案してくれましたが、そもそもアイデアの段階から彼とともに練り直したいと僕は伝えました。

週末中じっくり話し込んだ僕らの前には、独学領域のプロジェクトを見直した2つのアイデアと、当時僕らが「結婚2.0」と呼んでいたアイデアが残りました。「結婚2.0を早すぎるとは思わないし、むしろ今やらないと遅すぎると思う」という彼の言葉に背中を押され、2020年10月31日、結婚制度をアップデートする「あたらしい結婚」プロジェクトが始まりました。プロジェクトについては、以下の記事を読んでいただけると嬉しいです。


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