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「怒ること」を奪われた時

「怒る」という行為を制限される、というのは、誰しもが経験することだろう。

誰彼構わず、感情のままに怒鳴り散らしてなどいたら、ただの迷惑な人である。いや、現在ならば犯罪者になってしまうかもしれない。

誰もが「怒り」の感情が「怒る」という行為として具現化しないように抑え込んで生きているのだと思う。もっとも「怒り」だけでなく、「悲しみ」も「憎しみ」も。あるいは「喜び」や「楽しみ」すら、日常では抑え込んでいる人も多いのかもしれないが。


ただ、「怒り」の感情の発露ではなく、良くないことについて咎めることも「怒る」という。

咎めたり、注意したり、指摘するような行動は「叱る」と区別する人もいるかもしれないが、言葉の成り立ちを考えるとそこまでの違いはなさそうだ。細かい行動の違いを作るために、後付で違いを付けたような印象がある。


私は娘を怒れなくなった

さて、私には離婚した元妻のもとに娘がいる。

娘と暮らしたのは生まれてから10年間だが、娘をほとんど「怒った」ことがない。

別に常々怒りたくてウズウズしていたような怒りん坊ではないが、怒る時は怒り、褒める時は褒めて育てるのが当然だと、娘が生まれるまでは思っていた。


だが、元妻が私に求めたのは「怒らないパパ」という役割だった。

元妻の言葉を借りれば、娘が「最後に逃げ込める場所」なのだと言う。

しかし、結果的にそうした「最後に逃げ込める場所」にはならなかった。今でも娘との関係は悪くないが、ただの「怒らないパパ」でしかなく、むしろ「怒る周囲」よりも距離感のある関係になってしまったように思う。

「怒らないパパ」という役割を私に与えた元妻は、単に私をプロデュースしていただけなのかもしれないし、切にそういう「家族のかたち」を望んでいたのかもしれない。

私自身、当時も今も、そうした元妻の意向に怒りも嫌悪も殊更反対する気持ちもない。むしろ、元妻自身が厳しい役を担い、私に優しい配役をくれたことを感謝すべきかもしれない。

しかし、「怒らないパパ」という役は、「こう育てたい」という気持ちを妻と一つに合わせて、一緒に育児をしていく存在ではないような、どこか仲間はずれのような印象を当時から持っていた。

幸い、娘は私がゆっくりと教え諭せばそれを聞いてくれるような子に育ったし、そんな落ち着いたコミュニケーションを取る父と娘の関係が続いているので、もしかすると元妻のプロデュースは大成功だったのかもしれないが、今でも自分の役割が正しかったのか、自信を持てずにいる。


誰もまったく怒らない会社となったなら

仕事の上でも、過去の時代に比べ、強い調子で怒ったり叱ったりすることは大幅に少ないのではないだろうか。

耳にした話では、会社の方針で、新入社員に対してまったく指導らしい指導ができず、わがままレベルの要求でも辞めないために受け入れるという会社もあるらしい。

私の娘と同じように、優しく会話をするだけでちゃんと意思疎通できる関係が構築できる可能性もあるが、「こう育てたい」という思いとのズレを、そうした会社ではどう埋めているのだろうか。


もちろんパワハラとなるような言動は厳に慎まなければならないが、もし「怒らない」を通り越して意見も言わないような環境になった時、あるいは、意見のやり取りだけで退職に至ってしまうような時、それはもはや、会社組織に参加していないのと同じと言えるのではないだろうか。

少なくとも私がそうした環境に身を置いたならば、会社の一員という帰属意識が持てなくなるのではないかと思う。

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