山内一豊
今日は山内一豊です。
奥様のおかげで出世したドラマが、昔ありましたが、
ちゃんと実力で登り詰めています。
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関東をおさえていた家康は、
豊臣秀吉に東海道にしっかりと布石を打たれていました。
秀吉からすれば、
いつ自分に歯向かってくるかわからない相手であったからです。
そして秀吉没後。
関ヶ原前の軍議の話です。
家康からすれば、
三成軍を相手に戦うには、
この東海道エリア(静岡あたり)を見方にする必要がありました。
打倒三成の軍議をしていると、
山内一豊は、
『自分の城を家康に譲って自分は戦いに行く』
と、口火をきったのです。
それに連なり、
静岡あたりの大名たちも、
『自分も譲ります!』
と、
乗っていきました。
そもそも戦国の世、
家康からすれば西軍と戦う軍は、
ただの寄せ集め軍隊なわけです。
つまり、
いつ裏切るかわからない、信用のおけない部下しかいない状況。
昔からの恩義がある人なんて僅かしかいない。
そんな中、
地味で目立たなかった山内一豊が口火を切ったことにより、
静岡を手中に収めることができました。
実際、
山内一豊は、関ヶ原での活躍はそこまですごいものとは言えなかったようですが、
ここでの一言により、
土佐20万石を手に入れました。
よほど、
この一言が大きく影響したのでしょう。
『いつでもあなたに見方します‼️』
それだけで大きく出世した人は、
歴史上たくさんいます。
実力ももちろん大切ですが、
勝てるかわからない闘いの時、
人の心を打てるかどうかは、かなりその後を左右するでしょう。
そんなことを学べる人物が
山内一豊でした。