安彦麻理絵

1969年生まれ、山形県出身。双子座・B型。漫画・エッセイなど書いてます。89年「ガロ」にてデビュー。著作「再婚一直線!」「ババア★レッスン」などなど。

安彦麻理絵

1969年生まれ、山形県出身。双子座・B型。漫画・エッセイなど書いてます。89年「ガロ」にてデビュー。著作「再婚一直線!」「ババア★レッスン」などなど。

最近の記事

ババア☆レッスン(その14・母の一周忌&まだ生きてる父、確か84歳)

 2022年の12月末に、母が急死した。 なので本来ならば一周忌は、2023年の、まだ雪が降り積もらない時期に終えるべきだった(東北・山の上にある墓場は雪に埋もれると、お参り不可能)。  しかし、実際執り行われたのは、その翌年の2024年8月10日。 随分と伸びに伸びたもんである。原因は、私が単行本の作業で、どうにもこうにも身動きが取れなかった、というのもあるが、あとは一人残された父。 親戚の叔母さん曰く「ぜんぜんやる気がない」との事であった。これが一番の元凶と見てる。 (冒

    • ババア☆レッスン(その13・更年期を抜けた気がしたから、その記念に「樹海」に行った話)

       閉経した年齢を挟んで、前後5年を合わせた計10年の期間が「更年期」とされている。人それぞれではあるが、ざっくりと10年である(8月に出た拙著「生理終了!と思ったら。更年期メンタル、私なりの付き合い方」を読んで頂けますと幸いです)。 現在55歳の私。もうすぐ50歳というあたりで閉経したので、数字の上では「更年期終了」という事になる。「お勤めご苦労さん」なのである。  以前の私であれば「・・・ホントに更年期過ぎたのかな・・?」と訝しんでいたかもしれないが、最近の私は、随分といい

      • そんな夜

        夜。 夫が歯を磨いていたl、 私も、それを 後ろから見ながら歯を磨いていた。 情けないくらいに 男と女だと思った。

        • ババア☆レッスン(その12・あれから1年たちました)

           2022年12月末日。私の母が急死した。享年75歳。 あれから1年たちました。  自宅で晩酌してた夜8時頃。 母方のいとこのおじさんから電話が入った。 このおじさんから電話をもらうのなんて初めてだったので「何だろう?」と思って出た所。「ヤエコさん(私の母)が、息してないんだけど」と言うではないか。 私の父からおじさんに「ヤエコがトイレに行ったっきり戻ってこなくて、様子を見に行ったら倒れていた」という連絡を受け、慌てて駆けつけたそうである。 「・・・息してないの?」と、私。

          ババア☆レッスン(その11・中年のバイト事情・後編)

           さて。2月上旬、世間は受験シーズン真っ只中である。 某・女子大付属中学の受験にて、試験監督員のバイトをやる事になった私。 監督員説明会で見事に撃沈、「仮病使ってやめさせてもらおうか」という思いが一瞬頭をよぎったが、しかし、「それをやっちゃぁ、おしめぇよ」である。大の大人が責任放棄して、逃げてどうする、腹括らなくてどうする。  結局私は試験当日まで、蛍光マーカーを使って、何度も何度もマニュアルを覚えこむに至った。  そして、試験前夜と試験当日の朝は、一切食事を抜いて仕事に向か

          ババア☆レッスン(その11・中年のバイト事情・後編)

          ババア☆レッスン(その10・中年のバイト事情・前編)

           今から遡ること約2年前。実は私、バイトしてたんである。 「なんで?」と思われそうだが、理由は明快である。 「仕事がなくて、どヒマこいてた」。 漫画の仕事はどーした?と突っ込まれそうだが、「ソレがないからバイトしてた」わけである。とにかくヒマだったのである。ヒマ。  考えてみれば、30年くらい漫画の仕事をしてきた。その事実を踏まえると「漫画家としてのプライドはないのか?」というさらなる突っ込みが入りそうだが、答えは「ない」。ないからバイトをやれたわけである。  それにつけ

          ババア☆レッスン(その10・中年のバイト事情・前編)

          ババア☆レッスン(その9・出産、4人目)

           さて。 このタイトルを見て「・・・え?4人目??」と思った読者の方もいらっしゃるだろう。若い頃は「子供、全然欲しくない!」と言ってた女が、出産4人目。  個人的には「まぁ、3人というのはアリだろう」と思っていた。世間でも「三兄弟」とか「三姉妹」というのは存在する。子供が3人というのは特にめずらしい事ではない。しかし。 「4人」となると途端に「え!!?」な反応を示される。  というわけで、ご安心(?)下さい。この出産物語は4人目で終わりです。 次男を産んだその2年後、42歳の

          ババア☆レッスン(その9・出産、4人目)

          ババア☆レッスン(その8・出産、3人目)

           3人目の出産は40歳の時だった。父親は、2人目の時と同じ男である。バツ2にはならなかった(今後も、なる予定はない、多分)。   「雑な子宮保持者」である私は、またしてもシレッと妊娠したわけだが、その妊娠発覚時の事は、なかなかに忘れがたいエピソードとして記憶に残っている。  その晩、私は編集さん達と新宿で飲んでいた。あははアハハと陽気に楽しく飲んでいた。そこまでしたたかに飲んだつもりはなかったが、相当に泥酔してしまった。タクシーで帰宅後、とにかく吐き気が治まらず、朝まで便器

          ババア☆レッスン(その8・出産、3人目)

          ババア☆レッスン(その7・出産、二人目)

           一人目の長女は、最初の夫との子供である。 二人目は、再婚相手との子供である。 34歳で離婚して、確か37歳で再婚、38歳で二人目を産んだ。  世間ではよく、「産む時は大変だが、産んでしまえば、その時の苦しさはケロッと忘れる」と言われている。が、しかし。 ・・・・・私は忘れなかった。ネチネチとネチっこく、ず〜〜〜〜っとしつこく忘れなかった、あの壮絶な、絶叫を伴う激痛。 なので「出産はもうこりごり」だったのだが、なんと再婚相手の夫が「子供が欲しい」と言うではないか。 本当に欲

          ババア☆レッスン(その7・出産、二人目)

          ババア☆レッスン(その6・出産、一人目)

           若い頃、20代の時は「絶対、子供を産みたくない」と思っていた。 何故か。答えはアホみたいに簡単だ。陣痛への、圧倒的恐怖である。 そして身勝手ではあるが「今の自分が変化する事への不安」。 「母親」という存在になったら、自分はどうなってしまうのか。  最初の結婚は27歳の時だったが、その時も、結婚したからといって「子供が欲しい」とは1ミリも思っていなかった。当時の夫も特に「いつかは子供を」などとは言ってこなかった。  それなのに、30歳の時に「うっかり」妊娠してしまった。 「

          ババア☆レッスン(その6・出産、一人目)

          ババア☆レッスン(その5・スクールカーストの、上と下)

           高校時代(女子校)の同級生に、「何でも持ってる」ように見える女の子がいた。 「何でも持ってる、ってどういう事だよ?」と思われるかもしれないが、文字通り「何でも持ってる」である。その子の名前を、仮にAちゃんとしておく。  Aちゃんは、気さくで人懐っこい、笑顔の可愛い女の子だった。 顔だけでなくスタイルも抜群だった。腰の位置が高く、手脚もスラリ。 そんなふうだから、走る姿はまさしく駿馬。運動神経も抜群だった。  そして実家がどうやら金持ちらしく、絶対、地方の田舎町では売ってない

          ババア☆レッスン(その5・スクールカーストの、上と下)

          ババア☆レッスン(その4・ため息ごとの、ジュ・テームな声)

           先日、昼の歌舞伎町を歩いていたら「やたらと前髪に命かけてるみたいな女」を見かけた。ヘアアイロン使って、しっかり可愛くアイドル風味に仕上げている。推定年齢19〜20歳くらいだろうか。小動物のようなクリクリの目に、チークを効かせたメイクで幼さを前面に出している。 そんな女が「どうもありがとうございましたぁ〜〜♡」と、ジジイにお礼を言ってる所に出くわしたのだ。 「元・社会科教師」のような風情の、70代くらいの白髪のジジイがその女に「いいんだよ、いいんだよぉ〜〜」と返している。 女

          ババア☆レッスン(その4・ため息ごとの、ジュ・テームな声)

          ババア☆レッスン(その3・君たちはどう親の葬式をあげるか)

           私は東北・山形県内の、ど田舎出身なのだが、私が子供の頃、昭和の時代は「葬式は自宅で」が普通だったようである。葬儀屋が出入りしてたような記憶はない。全て、近所の人や親戚総出で執り行ってた気がする。  祖父母が死んだ時も、必ず近所の女衆が手伝いに駆けつけ、大量の葬式料理をこさえていた。しかも母方の実家では、弔問客一人一人に、旅館のごとくお膳に料理を並べてふるまってたのには、子供心にびっくりした。 男はホトケ様を前にして泣いたり酒飲んだり、女は忙しく台所と座敷を行き来する。子供は

          ババア☆レッスン(その3・君たちはどう親の葬式をあげるか)

          ババア☆レッスン(その2・1998年、トミーとヒコ)

           わたくしアビコと占い師の日下ゆにさん、作家の大泉りかさんの3人で、月イチくらいのペースでやってるトークイベント、「サブカルおばさんが通う学校・ドクダミ女学院」(@高円寺パンディット)。  毎回、サブカルにゆかりのある中年層のゲスト様を講師としてお招きし、様々な生き様トークで、サブカル中年ライフをご教授して頂く趣旨のイベントである。  今まで色々な方に講師として来て頂いたわけだが、先月、6月のゲストは映画監督の冨永昌敬くんと、俳優の杉山ひこひこくんであった。 (ちなみに今まで

          ババア☆レッスン(その2・1998年、トミーとヒコ)

          ババア☆レッスン(その1・カーナビの設定はもう済んだ?)

           いきなり「ババア」である。 ドン引きした方もいらっしゃるであろう、ババア。 しかし私は「ババア」というフレーズが好きなのである。 逆に、どちらかと言えば「オバさん」というフレーズの方が苦手である。 「オバさん」という呼称から漂う「私も今じゃ、すっかりこんなんなっちゃって」感がイヤなのである。 だから本音を言えば、森高には「私がオバさんになっても」ではなく、「私がババアになっても」というふうに歌って欲しい。私がババアになったら、あなたはジジイよ。  というわけで、私は断然、バ

          ババア☆レッスン(その1・カーナビの設定はもう済んだ?)

          着物、はじめました。(その17・ヤフオク狂騒曲)

           ・・・・あなたは。 ヤフーオークション、通称・ヤフオクで、欲しいものを競り落とした事がおありだろうか? 私は、ある。 喉から手が出るほどに欲しいものを、競り落とした事が、ある。 いや、詳細に説明すると、最初は「喉からちょこっとだけ手が出てる程度に欲しい」だった。それが、オークションが進むにつれ、「喉からガッツリ腕が飛び出るほど欲しい」になっていったのである。もはや、化け物である。オークションは普通の中年女を、一瞬で化け物に変える力を持つ。  昨年、夏。 猛暑の中、私は薄ぼ

          着物、はじめました。(その17・ヤフオク狂騒曲)