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数学の板書をする夢を見る。
むかしから、何度も見る夢。

山形東高校では、数学のワークの答えを配布しない。それを含めた代金を払っているのに。
そのワークを予習として解いてくる。
そして数学の授業がある日の朝、数学係が指示書を持って教室にやってくる。ワークの問題番号と生徒の出席番号が書かれた紙。
問題が割り振られた者は、授業開始前にその問題の答えを黒板に板書しておかなければならない。

授業が始まるとまず、その問題の答え合わせを行う。書いた者が立たされて、解答の流れを説明する。間違えると授業の流れが止まる。場合によってはかなり怒られたりする。
東工大出身の数学教師は、それで東大志望の女子生徒を泣かせたことがある。

僕は高校時代、すべての授業で寝るか本を読むかしていたし、家でも勉強をしたことがなかったので、当然数学など出来なかったわけだが、ここで辱めを受けることだけは、どうしても自分のプライドが許さなかった。

それと同時に、今日がマラソンの日であることを思い出した。
そして日付を考えると1時間目の数学で、おれに板書が当たることが分かった。
おれは解けていない問題を、あの痛風持ちの数学教師の前で、みんなの前で黑板に書いてお披露目するというわけだった。
おれはこの世界のすべてが数学と同じように解くことができない。
あなたたちの自然な流れを何一つ解くことができない。
何一つ解くことができなかったとして
あなたがたと違っておれは笑って誤魔化すことが許されていない。
そのようなキャラでは、ないからだ。
そしてその後は、耐え難いマラソンレースが始まる。
つまり今は、執行猶予中の身だと分かった。

『叫び声』 安孫子陶

3年生になる頃には、理系110人中105位とかになったりしていた。逆に言うと僕以下の5人は何をしていたのか気になる。
僕は劣等生ではあったが、自意識の上では劣等生ではなかった。
演劇を作ってすごい一目置かれてる感じになっていたし、1年生の前半くらいまでは成績も良かったので、自分の中ではやればできる天才だと普通に思っていたわけだ。
そのやればできる文化面した天才が、数学の板書などで恥をかいていいはずがなかった。

僕の家族は代々の文系脳で数学が生得的に苦手だった。
それなのに医学部志望で理系クラスだったので、数Ⅲという恐ろしい科目があり、まぁ実は本当に恐ろしいのは数ⅡBであり数IAなのだが、とにかくその恐ろしいものに立ち向かう必要があった。

数学がある日には、いつもより早く登校し、数学係の到着を待った。指示書が張り出されると、焦りを悟られないようにかつ素早く自分に板書が当たっているかどうかを確認する。
今日は当たりそうだと思っている日に限って当たる。
ヘッセの『デミアン』で、意志の力で先生からの名指しを避けるというエピソードが語らえていたが、あれは本当だと思う。意思が足りないときには必ず当たる。

今日、当たる。心拍数が上がる。汗が流れる。交感神経が活性化している。悲しい狩猟時代からの本能がピンチを悟り万全に備えようとしている。だが農耕社会においては交感神経の働きは空しい。数学のワークには心拍数も汗も無意味だ。一体この社会はなんなのだろうか。みんな勉強をしているのはなんなんだ。このような恥は狩猟社会においてはなかったはずだ。もっと直接的に、マンモスを狩れないやつが恥をかく。序列が逆に、なっていただろう。そこで僕はもっと劣等生なわけだが、肉食獣に頭蓋骨を噛み砕かれる方がよっぽど爽やかな恥だ。

原理原則を何も理解せずに、僕は板書の問題の例題を探し、それらを当てはめ、なんとか解答を作り上げる。
東大の過去問などはYahoo知恵袋に解答が載っていたりするので、僕はスマホのGoogleの小さすぎる検索窓に、「lim(n→∞)」などと独特の記号処理を行いながら問題を打ち込み、解答を漁った。

そういう誤魔化しの能力に長けていたため、結局高校時代に数学の板書で大きな間違いをすることはなかったが、授業が始まるまで間に合うかどうかの、これらの息の詰まる自尊心の賭けは僕の心に小さくない傷を残し、今もなお悪夢を見せ続けている。


今日の夜国道を歩いた。大きなパスタ屋に入った。



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