多言語化はDAISY絵本の定義にあてはまらない?
2019年6月7日の日記
拙著「ええぞ、カルロス」はNPO法人子ども多文化センターの尽力によって多言語化されてきた。
それはどんどん増加する外国からの転校生(日本語がわからない子ども)のために、この絵本の多言語版は有効だと判断していただいたからだ。
しかし、資金が潤沢なNPOではないので、翻訳や録音、文字入れなどの作業をボランティアに依頼とはいうものの、実費や交通費ぐらいは払いたいので、苦労も尽きない。
そこでNPOでは、大企業の助成金団体などにDAISY絵本としての資金援助の申請を行ってきた。
すると、「それはいい考えです。ぜひ、上層部に話します!」と担当者に言ってもらえるまでは、わりとこぎつける。
しかし、上層部では、多言語化はDAISY絵本の定義にあてはまらないとして、却下されることが通例である。
最初から説明しよう。
DAISYとは、Digital Accessible Information Systemの略である。日本では「アクセシブルな情報システム」と訳されている。
もとは視覚障害者が音声で本の中身を聞くことができるように録音するところからスタートした。
その後、DAISYが視覚障害者のほかに学習障害、知的障害、精神障害の方にとっても有効であることは国際的に広く認められてきた。
文字を追いながら、音訳(朗読のことをDAISYの世界ではそう言う)を聞けば、ディスクレシア(文字を読むことに特別の困難を覚える障碍。俳優のトム・クルーズがそのために脚本を丸覚えしていることは有名)の人も中身を把握しやすいなどの長所がある。
役に立ちさえすれば、DAISYの適用範囲はどんどん広げるべきなのだ。
大切なのは定義ではなく、本当に人々や特に子どもの教育に役に立つかどうかだ。
そして立命館大学DAISY研究会では、多言語化もDAISYの範疇にあるとして、研究や活動が進められてきた。
しかし、そのような比較的新しい研究動向などを受け付けない大企業の助成金団体などは、多言語絵本などをDAISYの予算で助成しようとしない。
よくわからないけど、何か事情があるんだろうか?
普通に考えて、外国人労働者を多く雇う新時代には、多言語援助は労働者の子どもの教育のためにはますます重要になってくる。
大企業にとってこそ、それは重要であり、僕は元教師、そして文芸のアーチストとしてそれに無償で協力しているだけだ。
この絵本はストーリー執筆・入選時にまだ維新政治になる前の(維新政治になってからこのコンクールは打ち切られ、予算0になった)大阪市の教育委員会の人権擁護部から賞金をもらった。
が、以後はすべて教育分野に役立つならと、多くのボランティアに支えながら、僕自身も追加報酬は何もない中で、たとえばyoutubeでは無償公開としている。
学校の教員はそれを無償ダウンロードして、プロジェクター投射し、学校で使用してもらえばいい。
だけど、翻訳という仕事や、大阪市立中央図書館の音訳スタジオにネイティブスピーカーに来ていただいての録音などの仕事は、せめてボランティアにかかった実費だけでも、支払うのが筋というものだろう。
そのためにNPOでは、外国人労働者を必要としている当の大企業に助成金申請をしてきたわけだ。
だが、大企業の方で、多言語化はDAISYに当たらないとして審査に落ちるって
どういうこと?
実は、外国人労働者には、子どもを伴ってきてほしくないんだろうか。
手当ての問題とか色々な理由で、子どもは邪魔なんだろうか?
しかし、ごく普通に考えて、子どもは親と一緒にいるのがいいよね。
僕もアメリカの日本人学校に赴任したとき、小さい子どもを伴ったし、当時の文科省は十分な手当てでそれに報いました。(今は当時より条件が改悪されている。)
立命館大学DAISY研究会などの最新の研究動向などを取り入れ、DAISY絵本への助成金を多言語化プロジェクトへも当てはめるように強く要望したい。
もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。