首里城の再建は必要か

多くの人が心痛めているようなので、とても言いにくい話だけど、

僕は首里城の再建は必要がないと思う。

お金さえあれば再建できるであろうから、観光資源として必要というなら予算と採算をよく考えて、ビジネスとしてやるのは自由だろう。

しかし、そこにうちなんちゅのなんらかのアイデンティティを投影し、ウェットになって、再建を再建をというのは、

なんというか、乱暴に言ってしまえば、ミニ天皇制的なのだ。

首里城は王朝の象徴ではあった。

しかし、うちなんちゅのスピリットの象徴だったとは言えないと思う。

アイヌにそんなものはもともとないし、必要もない。

そのほうがよほどカッコいい。

書きにくいことだと言いつつ、そうFACEBOOKに書いたら、自分もそう思うと沖縄の人が最初にコメントくれたので、ほっとした。

これで風とおしがよくなったのか、燃えている最中に意外に多くのいいねや賛同コメントが来た。

だいたい僕の沖縄フレンドは、沖縄県政そのものがミニお上であり、そこへは踏み込まずに、ヤマトがヤマトがと「だけ」言うのは、おかしいという僕の意見に賛成の人が多いというのもある。

翁長が反対しながら基地建設を進める方針を持った政治家であり、デニーはその遺志を継いでいるという詳細な分析も一致している人が多い。

ところで、あまり知られていないことかもしれないが、世界遺産に登録されているのは、今回燃えてしまった建物の類ではない。

燃えてしまったものは、殆ど世界遺産には関係ない。

あんなのは、1990年代に作られた張りぼてだ。

世界遺産は首里城「跡」である。

これで本来の形に戻ったとさえいえる。

個人的な経験をいえば、1980年代に初めて船で沖縄に行き、野宿で回ったとき、

僕は守礼の門の前に立って激しく心を揺さぶられた。

ぼろぼろの守礼の門には、米軍の激しい機銃掃射の弾痕があった。

そこここで城壁は崩れ、戦闘の激しさを思わせた。

それに比べると、1990年代終わりごろ、子連れで初めて首里城を訪れたときは、

安物のテーマパークにしか見えなかった。

ついでに言うなら

まだ世界遺産になる前の斎場御嶽には、独特の聖なる気が満ちていた。

が、世界遺産になって階段が造成され、その階段が雨などで濡れるとめちゃくちゃ滑るので、杖の貸し出しなどが始まったが、はっきり言って設計ミスだと思った。

余計なことをするから、聖地が破壊されたのだ。

一緒に行った人と「ここから、神様、呆れて出ていっちゃったみたいだね」とその印象を語り合った。

言ってしまえば、僕は世界遺産など、モンドセレクション(福島の水道水も金賞!)と同じぐらい嫌いだ。

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長澤靖浩
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