表現の不自由展 かんさい(2)
20分ほど前に9階会場前のロビーに行き、17時の入場を待つ。
ロビーには弁護士と書いた青い腕章をした人たちが何人かいた。
「なぜ弁護士さんたちが何人かいらっしゃって、腕章をしてはるんですか?」
と聞いてみる。
「トラブルがあったときに対処するためです」
「やはり、法的な知識でこれはこのようにまずいと仲介する必要があるためですか」
「法的な知識というか、ただもう揉めたら、やめるように言うだけですね」
「だったら、弁護士さんでなくても・・・。わざわざ弁護士さんが・・・ボランティアですか?」
「ボランティアですね。何人かずつ交代で一日中、誰か弁護士が数名います」
へえ、ボランティアか・・・と思ったが、見ていると、入場に関して優先だったり、無料だったりするのかもしれないという気はした。(未確認。)
かくいう私は障碍者手帳で無料。学生も無料と書いてあった。一般は1000円だ。
青い腕章がボランティアの弁護士。
この写真では二人見える。
このときは、交替のタイミングか、4人の弁護士の姿を僕は確認できた。
来場者メッセージ。
名古屋で中止になったので、大阪まで来た人がいるのがわかる。
東京でも開催をと書いているのは東京の人だろうか。
草津から来た甲斐があったというものもあった。
本来、全国巡業できたらよかったはずのものだったと改めて感じた。
大阪地裁が、開催するようにいい、施設側が(維新政治の圧力に関しては疑いがあるが)、即時抗告したにもかかわらず大阪高裁が広告棄却したことの意義、司法独立(そもそも三権分立は民主主義の基本原理)の意義を痛感した。
これを行うのが困難であるのがそもそも問題だが、ここにこぎつけるまでのスタッフの努力やストレス、めげなかった意志と行動力にも敬意を表したい。
もちろん、アーチストたちにも。
こうやって、これは本当に大事な表現活動なんだという意志が束になれば、この国の表現の自由はぎりぎりのところで、まだまだ保持できる。
気を緩めたら、たちまち全体主義の圧力に飲み込まれてしまうところまで来ているのである。
セキュリティ。水分の持ち込み禁止は、油類その他と区別がつかず、もしそうだと作品を燃やせる、爆破も可能?だからではないだろうか。
他に人を攻撃したり、作品を傷つける可能性のある傘や筆記具もここに置いていかなければならない。
さて、時間が来た。17時から18時の部の整理券を持っているものが、10連番ずつ入場する。
コロナ発生のときの連絡先を書いた整理券を受付に渡す。
1時間で観ろというのは、結果的には映像作品、文章の読みや理解を含めるとやや時間不足だと感じた。
ひとりひとりが作品の前に立ってしっかり鑑賞できることと、できるだけ多くの人に鑑賞してもらうことのぎりぎりのバランスが工夫された結果だろう。
会場は作品鑑賞の際、人の頭が邪魔になるケースも時々生じた。
が、少し待てば、見たいものを見れないということはない。
ぎりぎりだ。
(コロナ対策としての密を避ける意義もあるのかもしれないが、それはそこで争っている場合ではないので、仕方ないとしても、私はそれほど必要とは感じてない人間である。)
より多くの人に鑑賞してもらうという視点からは、かえすがえすも中止になった会場のことが悔しい気がする。
(つづく。次回より作品の写真と感想。)