昔のやーさんの仁義

時々、思わぬ場所で卒業生に声をかけられることはあるのだが、
ずっと以前にめちゃでかいダンプカーがブブーッと警笛を鳴らし、
なんやねんと振り返ると窓から顔を出したMが顔を出して「長澤先生!」と嬉しそうに笑ったことがあった。
「おお、今、それに乗ってるんか」
「まじめに働いてるで」
そして信号が変わると行ってしまった。

Mはやーさんの息子で勉強は苦手。古い言葉で不良。
ある放課後、クラスで文化祭の演劇の練習をしているとき、まじめに練習している生徒たちの横で彼がサッカーボールで遊び始めたことがあった。
僕は「こら。何やってんねん!」と言って、駆け寄って、彼が両手に持っていたボールを蹴り飛ばした。(ふだんの授業はぐだぐだでも、文化祭前などに限り、急に熱血?になる先生。)
Mは完全にすねてしまい、そのまま家に帰ってしまった。
その日の練習が終わってから僕は彼の家に行った。お父さんはいなかったがおばあちゃんがお茶を出してくれた。僕はMにボールを蹴ったのは悪かった。だけど、皆がまじめに練習している横であれはあかん。明日からまたまじめに練習に参加してくれと言った。Mはもう知らん、劇には出ない。の一点張りだった。
この劇は全員参加や。おまえもクラスの一員やろと僕は言ったが彼はぷいと横を向いたままだった。
おばあちゃんが横で見ていたが、何も言わなかった。これはもう、彼は出ないかもしれないと思った。

翌日、彼はなぜか練習に参加すると言い出した。
「それはよかった。そやけど、昨日、怒ってたやないか。どうしてん」と聞くと、
「ばあちゃんがとうちゃんに言うて、とうちゃんに言われた」と彼は言った。
あとで父ちゃん(やーさん)から電話があった。
「先生、すみまへんなあ。学校の先生が仕事終わってから家までわざわざ来て、じきじきに膝詰めて、参加するように言うていきはったんやったら、ちゃんとやれと、息子に言うときましたさかい」と父ちゃんは言った。
昔のやーさんにはそういう仁義があった。(見聞の範囲は限られるが。)

ダンプの窓から笑っている顔を見て、その時のことを思い出した。

今のこの国はあの頃より、上から下まで腐っている気がする。

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