真実無碍
なぜ、これを書いたかというと、阿弥陀の48願に、5つの感覚器官に障碍がある人が存在する限り、私は悟りを開かないと書いてあるのは障碍者差別と感じたからです。私が望む仏国土はそれらの障碍がない世界ではなくて、それらの障碍があっても幸せを感じる世界だと書きたかった。
眼がつぶれても光は見える
耳がやぶれてもAUMは響く
鼻がきかなくても幸せは薫る
舌が切られても憧れは甘い
身が覆われても優しさは触れる
意が惚けても愛は花開く
もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。