この世に投げ返されて (18) ~臨死体験と生きていることの奇跡~
(18)
市役所職員は最後まで、私は身体障碍ではないと言い張りました。精神障碍のガイドヘルパーなら「高次脳機能障害」の診断書で付けることができるの一点張りです。私の方としては、身体障碍の介助ができる人でないと困るとどこまでも主張しました。
とうとう市役所職員はひとつの提案に到りました。大きな事業所なら、精神障碍と全身性障碍の両方の資格を有しているガイドヘルパーが在籍している。精神障碍のガイドヘルプを雇う権利で、そのような人に来てもらうのはどうか。
苦肉の策としてのこれに乗らないことには、私は外出すらできない。当面はそれでいくことにしました。すぐにでも車椅子も欲しかったのですが、「精神障碍なので」支給についても貸与についても何の援助もありません。
私は自費でアマゾンに手押しの簡単な車椅子を申し込みました。お金さえ払えば、それはとても簡単なことで、翌日、車椅子は届きました。資本主義社会なのです。
私はその車椅子に座って「精神障碍のガイドヘルパー」に押してもらい、近所の買い物や図書館に行くことができるようになりました。
自分であれもこれも考え、一所懸命闘わないと、そんなことすら実現しません。
しかし、近い将来に身体障碍であると認められる必要があるのは変わりありません。
高次脳機能障碍が身体機能を妨げて転倒しやすいというケースについて、診断書を書くことや、その場合のリハビリができる専門医を私は探し続けました。
一方で私は、退院したら受けようと思っていたアレキサンダーテクニークのレッスンを受け始めました。以前から信頼している、日本での第一人者、片桐ユズルさんのレッスンです。
彼の腕は確かだし、私自身が自覚的に身体の使い方を覚えることも適格に援助してくれます。
レッスンを受けると、確かに体が緩み、正しい身体の使い方が戻り、歩きやすくなるのでした。
しかし、何か些細なことに驚いて身体が緊張し、硬直すると、元の木阿弥です。それが高次脳機能障碍の特色でした。
片桐さんも大変難しいケースだ、私自身、初めて経験すると言っていました。
高次脳機能障碍が診られるという専門医は、ネット上で調べても調べてもなかなかヒットしませんでした。
それでも、大阪府内の名の知れた開業医を私は数か所回りました。が、彼らが診ているのは、高次脳機能障碍による他者とのコミュニケーションの困難などの症状やそのリハビリが主でした。電話しても、高次脳機能障碍による身体障碍のリハビリはやっていない、やったことがないということでした。
ただ、介護保険が認定されるように診断書を書きましょうという医師がいました。私は彼の指示に従い、診断書に基づいて要支援を認定されました。しかし、その支援程度は非常に低いものでした。
この認定は「介護保険優先の原則」のために、却って身体障碍者手帳を取る際の妨げになり、後に大きく揉めることになります。
介護保険よりも、身体障碍手帳の方が福祉サービスが厚い。一方、いったん介護保険を認定されるとそれは一生取り消すことができない。そして、介護保険で何らかの認定を受けている限り、障碍福祉サービスが受けられない。
つまり、介護保険で要支援を認定されたばっかりに、私は十分な障碍福祉サービスが受けられなくなったのです。
素人には全体の構図が見えない何重ものトラップが、必要なサービスを必要に応じて受けられないように張り巡らされているかのようです。
このことについて、国家レベルでのトラップですが、私が徹底的に闘って「勝利」するまでの経緯は後述します。
私はそんなことのために「この世に投げ戻された」のではなかったはずです。
蘇生直後にうわ言のように言っていた「世界平和のために」この世に戻ってきたという話はいったいどこに行ってしまったのでしょうか。
しかし、当座の生活のために必要な福祉サービスを受けるため、ただそれだけのための煩瑣な闘いは際限もなく続いていきました。
投薬に関しては地元の病院で、元に入院していた総合病院からの指示に基づき、継続的に行うというのが、医療界の正しい習慣であり、地元の病院にはそういう役割をする責任があると聞きました。
私は退院後、処方薬が切れると、投薬してもらうために、地元の病院を訪れました。総合受付で紹介状を出すと、最初、私は循環器内科で診察を受けるように指示を受けました。循環器内科では心電図などをとり、そもそもの原因となった心臓疾患について改めて検査しました。
その結果、心臓周辺にもはや病変はない。残った問題は、低酸素脳症の後遺症としての高次脳機能障碍だけだということになりました。
ただし、循環器内科の医師は「一度、心臓発作を起こした患者には、この医療機器を紹介しないといけないことになっている」と言って、私に「ICD」を埋め込むかどうかを選択させました。これは、手術により肩に埋め込む除細動器です。私が万が一、再び心室細動を起こした際、自動的に作動するいわば小型のA.E,D.です。それをあらかじめ、肩に埋め込むというものでした。
「私が心室細動を再発する確率はどのくらいなのですか」
「原因不明の心室細動だから、わかりません」
医者というものは、人の身体の中でいったい何が起こっているのか、一番肝心なことは殆ど何もわかっていないのです。ただ、こういうことが起こればこうするというマニュアルをその頭の中に無数に詰め込んでいることは確かなのでしょう。
「副作用は何ですか」
「誤作動ですね。たとえば、自家用車の自動キーの電磁波。下手にそういう車に近づいただけで、ドンと心臓にショックが来て、驚くことがあります」
私はそんなものを身体に埋め込むことはいらないと言いました。
もし、今度、心室細動が起こって、A.E.D.が間に合わなければ私は死ぬでしょう。
あの永遠の安らぎの世界に還る。
それは宇宙が決めることです。
この小賢しい(と私には思えた)機械を埋め込んでそれを避けようとし、誤作動に怯えて、残りの人生を送ることはいらないというのが私の判断でした。(もちろん、再発率の高さなど、必要性があってICDの埋め込み手術を決意する人がいるのは理解できるし、その人の判断に口を挟むつもりは毛頭ありません。)
この日は循環器内科が、デパケンRとランドセンを処方しました。
「もう循環器内科の受診の必要はない。心臓のための薬も要りません。次回から、当院の神経内科に診察券を出してください」と私は指示されました。
ところが、次回の投薬が必要になって、神経内科を訪れると、そこの医者が言いました。
「高次脳機能障害は診られない。大変難しい病気です」
「では、前の病院の処方箋どおりの投薬だけお願いします」
「今も同じ状態なのか、どうかはわからないのです。最後に診察されてから、随分時間が経っているのですから」
「しかし、この薬がないと、私は身体が痙攣して生活できません」
「とにかく、大阪府下で高次脳機能障害について最も権威ある病院と医師を紹介しましょう。そこで投薬を受けてください」
「もうすぐ、今ある薬が切れるので、とりあえずの分は今日、処方してください」
「いいですか」
医者は上から目線で説教を始めました。
「高次脳機能障害は大変特殊な病気なんです。専門医でないと責任を持った処方ができないんです」
「しかし、薬が切れると体が痙攣し、生活ができないのは、私の体の事実です。私にその薬が必要なのは、私の体が知っています」
「あなたは医学の基本から勉強する必要がありますね」
医者はそんなことまで言い出しました。
「とにかく紹介状を書き、予約をとりましょう。予約がとれたら、看護師がメモを持っていきますから、待合室で待ってください。次の患者の診察がある」
医者はそう言って、私を診察室から追い出しました。私は仕方なく、待合室で待ちました。かなり時間が経ってから、看護師がメモを持ってきました。
「大阪府立急性期・総合医療センターの専門医に予約がとれました。非常に混んでまして、一ヵ月後の受診になります」
「ええ? 薬はあと数日で切れるんですよ。一か月分だけ処方するように先生に伝えてください」
「そうですね・・・。しばらくお待ちください」
また長い時間待たされて、看護師が待合室に戻ってきました。
「先生が薬は出せないと言ってます」
「そんな無責任な! じゃあ、私は薬が切れてから一か月後までどうやって生きていけばいいんですか」
「先生が出せないと言ってますので」
「患者を見放すんですか? どうなっても知らないという態度ですか」
「出せないものは出せないと」
「病院の苦情係を呼んでください」
私が投げ戻されたこの世、具体的にはそれは日本という、硬直したマニュアル社会であり、誰かが困っていても、マニュアルは動かない。とんでもないとしか言いようのない社会だったのです。
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