ひかる プロフィール
ひかる(長澤靖浩) プロフィール
求めに応じて作成主にウィキより
1985年(昭和60年)より大阪府公立学校教諭を勤め、アメリカ合衆国サンディエゴ補習授業校文科省派遣教諭を経て大阪府に復帰。2015年(平成27年)に退職。
親鸞思想の研究を専門とし、インド・アメリカなどでグルに師事瞑想体験を積む。
1988年(昭和63年)(「念仏もうさんとおもいたつこころ」で白山市(当時松任市)第4回暁烏敏賞受賞。
1990年(平成2年)文藝春秋社「CREA」創刊エッセイコンクール入選「男たちの中に眠る女たちへ」
第2回「猿田彦大神と未来の精神文化」助成論文「螺旋-精神宇宙と大地の神々の統合へ」猿田彦大神フォーラム年報「あらはれ」第3号2000年(平成12年)
ほか、エッセイ、小説、論文、絵本、詩、俳句などの諸分野にまたがる作品を生み出している。
2013年(平成25年)心室細動による13分間の心肺停止の際、臨死体験。死生観に大きな影響をもたらす。
主な著作
『魂の螺旋ダンス はるかなる今ここへ』(宗教社会学評論)第三書館 ISBN 9784807404162
『ええぞ、カルロス』(絵本)大阪市教育委員会(非売品) youtubeで10カ国語および手話バージョンで公開中
『蝶を放つ』(小説)鶴書院 ISBN 9784434195969
『臨死体験であの世がわかった著者が訳した超簡単訳歎異抄・般若心経』(仏教書)銀河書籍 ISBN 9784434219214
『浄土真宗の法事が十倍楽しくなる本』(仏教書)銀河書籍 ISBN 9784434231995
車椅子生活後のエッセイ例
「無数の見知らぬ手 車椅子旅行で感じた韓国人の心」(韓日交流作文コンテスト2017に入選作品)
私は五十三歳にして心臓発作の低酸素状態の後遺症のため、身体障碍となった。若い頃からバックパッカーだった私はそれでも旅をあきらめられなかった。電動車椅子を手に入れた私はいくつかの国内旅行の後、外国へのひとり旅に挑むことにした。その時、最初に選んだのが韓国の釜山である。韓国語の初歩を勉強していた私は、SNSの韓国フアンのページでのやりとりから、釜山の地下鉄がすべてバリアフリーであることを教えられたのだ。
大阪南港からフェリーに乗った。
十五時に出港。夕食を食べてショーを見て眠る。朝の十時には釜山国際フェリーターミナルに到着した。そこから電動車椅子で一五分ほど走ると、釜山駅だった。そして隣接した地下鉄によって、釜山中にバリアフリーで移動することができた。お隣りの国がこんなに近く、しかも不自由のない旅ができるなんて!
バリアフリーが進んでいるのは地下鉄だけではなかった。たとえば海辺に行くと波打ち際の近くまで車椅子でも行ける遊歩道が設けてあった。また水族館で障碍者割引の表示があったので、試しに日本の障碍者手帳を見せると有効であったのも驚きだった。
心のバリアフリーも進んでいた。段があるところや急な坂道などで戸惑っていると誰か彼かが走ってきて、手伝ってくれた。地元の大阪でも助けてくれる人はいるが、この「走ってくる」というところに韓国人気質があるのではないかと感じた。
ある時、私はミスで地下鉄の自動改札を出られなくなった。通りがかった女性に駅員を呼んでくれるように頼んだ。五分ほど待っただろうか。駅員と一緒に戻ってきたその女性は「長く待たせてごめんなさい。不安だったでしょう」と言って、なんと涙を浮かべていた。私自身よりも気持ちに思いを馳せ、心配し、涙まで浮かべてくれている。ああ、韓国人の感情が激しいと言われているのはこのことなんだと私は実感した。
別のある時、私はふとした不注意で車椅子ごと転倒してしまい、額を打って、出血した。通りがかりのたくさんの手が車椅子を起こしてくれ、誰かが私の額にティッシュを当ててくれた。「ケンチャナヨ」私は覚えたての韓国語で言って動き始めた。眼鏡が歪んでいたので眼鏡屋に行くと無料で修理してくれた上、日本語のできる人が薬局に案内してくれた。薬局では「消毒薬付きのバンドエイドがいいでしょう」と言って、店員が額に貼ってくれた。
ショッピングセンターなどで私が通る間、ちょっとドアを押さえておいてくれた手を含めると、私はこの旅で無数の韓国人に助けられた。
もう顔も思い出せない無数の見知らぬ手。
私たちのアジアには千手観音という美しく象徴的な菩薩像がある。私にはその「千手」とは、たとえば、この旅で出会い、私を助けてくれた無数の見知らぬ手のことではなかったかと思えてくる。そう思うと、今でも心が温かくなる。