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この世に投げ返されて(24) ~臨死体験と生きていることの奇跡~

(24)

すっかり日も暮れて、SHINGO☆西成のステージが始まると、若者たちがステージ前列に圧をかけるほどに殺到し、ラフなパーカーで現れたSHINGOが歌い始めました。
「『生きる』っていうこと」という曲は、私が心室細動で倒れる前、同じこの場所で聴いた曲です。簡単に言ってしまえば「いろいろあるが、生きるっていうことは、それだけで素晴らしいことなんだ」ということを歌っています。
SHINGOの歌の多くは、西成区の釜ヶ崎の地に生まれ育ったことから、湧き出してきた「底辺からのラップ」です。この曲もその例外ではないのですが、そこから離陸して一種の普遍性に達している曲のひとつです。
あの時、あのまま死んでいたら、再びここでこの曲を聴くことはなかった。こうして、数多くの若者と一緒に歌ったり叫んだり手を挙げて同じリズムで振ることもなかった。今、生きているからこうしているんだという思いが極まると、私はいつのまにか車椅子から立ち上がっていました。
お腹ほどの高さのステージに、車椅子の肘掛けをぎりぎりに付けると、そこに安全な空間が生まれます。前方をステージに、両側を車椅子の肘掛けに、後方を車椅子の座席と背もたれに守られています。なので、万が一、よろけても車椅子に座りこめばいいのであって、転倒してどこかを強打することはまずありません。
というよりもそれ以前に、これだけの人の群れ、混み具合になってくると、既に人々の柱がどちらに倒れることもできないように私を支えてくれているのです。肩は両側の人に当たっているし、車椅子なしに後ろに倒れてもそこにいる人の体の前面が私を受け止めるでしょう。その後ろにも人が居ることはドミノ倒しが起こることを意味せず、私ごときの体重は確実に支えられてしまいます。
密集した仲間の群れの中にいれば、私は立って踊れるのです。無数の人々に囲まれていれば私は安全に立ち上がることができるのです。両足で大地を踏みしめ、首や手を振り、私は狂ったように踊りました。またこうしてライブで歌を聴いて踊っている。生きている。それだけでこみ上げてくる歓喜が体を貫きます。 

この日、SHINGOのMCの中に障碍のある多様な人々に対するラブコールのような台詞がなんだか多いような気がする。そのことに私は途中で気がつき、何故?と訝しく思いました。そういう台詞を敏感にピックアップする自分になったというだけのことだろうか。
と、最後の曲ですというMCと共に、ステージに勢いよくなだれこんで来た人々がいました。二台の車椅子がステージ上を軽々と走り回ります。白杖を持った男女が人に手を引かれて歩いてきます。とても小さな人、太った人、松葉づえで体をくねらせながら歩いてくる人、ダウン症特有のおぼこい表情の人、女装しているフリフリのスカートの男性。
彼らがどっとステージ上に現れたときのパワフルで収集のつかない混沌! 
その漲るエネルギーは今までに感じたことのないものでした。
彼らは様々な障碍のある人や、ない人が共に踊るチーム「ダンスバリアフリー」と紹介されました。客席から歓声が上がる中、音が鳴り始め、SHINGOが歌い始めます。
あらゆる存在がひしめき合っているそのステージは、私の心の中にあった無意識の垣根のようなものをバリバリと破壊していくようでした。
ええええ!? 全部一緒くた!?
それは臨死体験で観た何の障碍もない清澄な覚醒とちょうど反対の極にあったと言えるのかもしれません。ありとあらゆるカルマと障碍が無数の異形の華となって、この娑婆世界に咲き乱れ、一緒に踊っているのです。
これが娑婆だ。これが生きているということだ。
私はそう思うと感極まって、泣いてしまいました。見ると、車椅子上の脳性麻痺の青年も拳を突き上げて踊りながら笑っています。友人たちが、数名で彼を抱え始めました。そして神輿をかつぐようにしてステージ上に上げてしまったのです。
彼はそのままステージにぐにゃりと座り込みましたが、のたうち回るように踊り始めます。その無定型な動きも、歌や音、ダンスバリアフリーのダンスとも交響していきます。
・・・これが、私の「ダンスバリアフリー」との出会いでした。

帰りの電車のホームで、さっきステージ上にいたと記憶していた女性やダウン症の女の子に会いました。
私は車椅子で近づいていくと尋ねました。
「ダンスバリアフリーの方ですよね?」
「そうですよ」
「さっきのステージよかったです」
「ありがとうございます」
「あのう、あのチームにはどうしたら入会できるんですか?」
私はおずおずと尋ねました。
「ああ、是非一緒にやりましょう」
ダンスバリアフリーに入会することは、こうして一瞬で決まりました。

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長澤靖浩
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