アミタの観た夢 (Xー4)
その年のワンゲル部の夏休みの遠征は、京都府と滋賀県にまたぐ比良山の武奈ヶ岳アタックに決まった。標高一二一四メートルの武奈ヶ岳の登頂は、近畿では中学校のワンゲル部にもよく選ばれるコースであり、けっして困難なものではなかった。
ただ中学校のワンゲル部では滋賀県側から途中までロープウエイ、リフトを使って中腹に到り、そこから歩き始める方法を選ぶ場合があった。曲りなりにも高校のワンゲル部ではそんな軟なルートを選ぶことはなかった。京都側からバスの通う限界の登山口まで到ると、八雲ケ原キャンプ場に向かって、急な山道を一列縦隊で一歩ずつ辿り始めた。
奈津子が高校時代にはテントの軽量化が現代ほど進んでいなかった。ずっしりとした金属パイプや厚い布を分担して担ぐと個人の荷物と相俟って、普段から砂袋で練習している以上の重みが肩にかかった。四人の女子部員は、女子用の四人テントを重量の工夫をして分けて、担当していた。しかし、部品の大きさの都合で完全な均等とはいかず、奈津子が背負った分は、先輩よりもずしりと肩に食い込み、腰にこたえた。
林の中にやや平たい空き地が見つかると、荷物を岩の上などに下ろして休憩する。岩の上に下ろすのは完全に座り込まなくても肩から外すことができ、再び担ぐ時も中腰から両腕をショルダーストラップに入れて担ぎ上げることができるからだった。
水分補給は必要だがあとで片腹が痛くならない程度に一口だけの水で喉を潤す。栄養補給食品などの発達していない時代でチョコレートを少しかじる習慣があった。
わずかな水分とチョコレートのエネルギーが、体に染みていくのを覚えながら、奈津子は空を見上げた。高い梢に囲まれた円空に眩しい雲が輝いて、ぎらりと目を射る太陽に頭がくらくらした。瞼を閉じると様々な幾何学模様がぐるぐる回りながら迫っていた。
「どうした? 大丈夫か?」
大沢先輩に声をかけられた。うれしかったが、女子の嫉妬を買うのが嫌で急いで目を開けて皆の視線を確認する。幸い、タオルで汗を拭いたり手のひらで胸元を仰いだりするのに精いっぱいなメンバーは誰も奈津子の方など見てなかった。
「はい。大丈夫です!」
奈津子はできるだけ張りのある声で答えたが、最近、以前より疲れやすくなっているのは否めない気がした。
「出発します!」
顧問の竹中先生が声をかけると、皆、きびきびと動き出し、リュックを背負う。奈津子も岩の上のリュックに片方ずつ腕を通し、腹筋に力を入れて背中に負った。
その時だった。またズシンと左足に鈍い痛みが走ったのだ。今までよりずっとはっきりしている。山を下りたら、一度病院で診てもらおう。この時ばかりはそう心に決めた。
だが、ゆっくりと確実に足を踏みしめて歩き始めると、左足は少し重苦しさが残っているような気がしたものの、痛みは全身の辛さにまみれて分散していくようだった。
八雲ケ原キャンプ場にテントを張った。飯盒炊爨は安易にカレーライスのメニューだったが、皆でわいわい調理するのは、楽しかった。後で思えば「これが高校生活」と言える貴重な時間のひとつになった。
明日早朝からの武奈ヶ岳アタックに向けて就寝は早い。
満点の星空の下、テントをひとり出た奈津子が山小屋のトイレに向かうと、木の階段あたりでぽっと赤く光る小さな点が見えた。近づくと大沢が階段の中途にしゃがんで煙草を吸っていた。
「あ、大沢先輩って、、、、そういう不良やったんですか」
言いながらも、奈津子は秘められた一面を見たことにくすぐったいような喜びも感じているようだった。
「よう、ちょっと座っていけや」
「ちょっと化粧室行ってきます」
戻ってくると大沢は煙草を吸い終えて、星空を見上げていた。木の階段を三段昇り、隣に座る。ふたりで星空を見上げる。
「私、高校受かってよかったわあ」
今改めてしみじみと感じることだった。その瞬間、奈津子は大沢に唇を塞がれていた。少し煙草の匂いがした。